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なぜクイズプレイヤーは2015年から誤答するようになったのか? またはクイズとテクノロジーのいとも奇妙なる蜜月

6/19(月) 11:10配信

ねとらぼ

 こんにちは、QuizKnock編集長、自称東大生クイズ王の伊沢です。

 今回のテーマは「誤答」です。テレビなどではよく「お手付き」といわれるやつです。早押しクイズで先にボタンを押したにもかかわらず、間違った答えを言ってしまうことですね。

【データ】筆者が「誤答数が増えた」と感じたわけ

 実はね、増えてるんです、いま。何って、誤答が。

 それも、数年前から。誤答、増えてるんです。どこで? クイズのガチな大会で。ガチすぎて、以降「ですます調」が「である調」になるほどガチな話なのです。

 具体的には2014年の冬ごろから兆候があらわれ、2015年に明らかにクイズの潮流が変わったように僕は感じた。テレビでは映らないが日本最高峰が集うような、「クイズ界」におけるめぼしいクイズ大会で、プレイを通じての誤答が増えたように感じたのだ。しかも、偶然ではなく、戦略思想的な議論の進歩が招いた結果として、誤答が増えたように思うのだ。

 2015年10月に上梓した拙著でも、まえがきでそのことに触れている。僕はこのとき、誤答の増加と早押しの劇的な進歩・スピードアップについて、勝負の単調化へと行き着く「何もない理想郷」として危機感とともに描写した。

 2017年現在そのような事態は訪れていないし、2年以上たっても僕はクイズを楽しめている。ほぼ杞憂だったといえよう。

 しかし、僕がその際に記述したタイミングで、クイズ界において支配的であった戦略観が変化したこともまた事実であるように、いまだに思う。

 なぜ、そのような変化が起こったのか? そもそもそのような変化はどの程度目に見えるものであるのか?

 今回はガチンコクイズコラムとして、真正面からその謎に挑むことにする。

●「誤答」総論

 そもそも、「誤答」について語る必要があるだろう。

 ふつう、テレビのクイズ番組ではカルタのように「お手付き」といわれ、その問題で答えられなかったり、ノーペナルティで押しまくれたりする。ボケが必要で、なおかつ番組を進めるために正解を出さなければならないことを考えると極めて合理的なルールだろう。ガチンコ番組である「パネルクイズアタック25」ですら2問お休みという軽い罰則である。

 それに対し、現在のクイズ大会における誤答の罰則は厳しめが潮流だ。オーソドックスな罰は、試合終了までに既定の問題数誤答すると失格となる「n×」(バツ)ルール。7月からアニメ化されるクイズ漫画『ナナマルサンバツ』も、7問正解で勝利、3問誤答で失格というルールにちなんで名付けられている。

 なぜクイズ大会の誤答罰が厳しめかというと、それはひとえに「早押しの技術」にある。多くのクイズプレイヤーは、問題文の構造を熟知し、どこで押すのが最適かを、たとえ新作問題に対してもすぐ把握してボタンを押すことができる。つまり、「このあたりで押せば分かるだろうな……」というポイントでボタンを押せば、けっこうな確率で正解できてしまうのだ。

 このような人間が複数集まり野放図にボタンを押すと、もはやクイズではなく反射神経と確率のゲームになってしまう。そのため、このような賭けが頻発しないように、クイズプレイヤーには厳しい誤答の制約が課されている、というわけである。

 しかし、このような厳しい制約を課した上でなお誤答が増えているというのだ。にわかには信じがたい。

 そこで、近々のデータで検証してみることにした。

●データ分析

 分析の対象としたのは、現在日本最大級のクイズ大会にして学生短文クイズのNo.1決定戦である「abc」シリーズ、そして社会人まで含めた大会では日本有数の規模を誇る「勝抜杯」の2つ。いずれも15回以上開催という歴史ある大会である。そして、前者は5◯2×連答付き(連続で正解するとボーナスが入る)、後者は7◯3×という毎年行われる定番ラウンドがあり、年を経ての分析に適しているといえよう。これらのコースにおいて、過去10年分の誤答総数や誤答率を調べてみた。

 まずは「abc」から。2015年以降の3大会はいずれも誤答数が多く、10年の間で比較したときの誤答数は1位、3位、5位と上に集中した。誤答の数は確かに増えている。しかし、誤答率で見るとそこまで高い結果にはならなかった。2014年以前とさしたる違いがなかったのである。ルールは10年間でまったく変化していないのだから、ここ3年はより激戦になった、といえるであろう。

 「勝抜杯」についてはより意外な結果を得た。こちらは2017年大会のデータが手元になかったため直近2年分を過去と比較する形で調べたが、誤答数はごく平均的。誤答率も平均的だった。

 誤答数はまだしも、誤答率に関しては僕の感覚とは異なる結果だ。なぜだろう?

 気になったので他の値も出してみた所、興味深い結果が出た。

 「abc」の5◯2×は4セット、「勝抜杯」の7◯3×は8セット行われ、それぞれ別々の参加者がプレイする。そこで、セットごとにどれだけ誤答数にブレがあるかを、誤答数の標準偏差(セット間での誤答数の幅広さを表す数値)を求めて調べてみた。すると、「abc」も「勝抜杯」も、直近2年のデータが10年間でのワースト1・2という結果が出たのである。

 これは各セットでの誤答総数の変化がほとんど見られないということ、つまり、近年の試合運びが極めて均質的なものになったことを示している。

 かつては「誤答が多い試合と少ない試合の差が激し」かったのが、現在は「どの試合も同じぐらい誤答が出る」のだ。これがおそらく「誤答が多くなった」印象を与えているのだろう。実際に数だけで見れば誤答数が増えている面もあるが、それ以上にこのデータが裏付けている「印象の効果」が、僕に誤答増加感を植え付けたものと思われる。

 では、なぜこのような「どの試合でも一定以上誤答が出る」ようになったのだろうか。

 これを今回は「クイズ戦略の変化」の視点から読み解いていこう。

●誤答戦略の変化

 そもそも、なぜ「戦略の違い」が「誤答の違い」につながるのか。そこから説明しよう。

 誤答が増える前、2013年ごろまでの時期にクイズ界のトップ層に受け入れられていた戦略的思想は、「無駄な誤答をしないことが勝負どころでの優位につながる」というものであった。ある程度誤答にゆるいルールだとしても、危ない問題に早めに飛び込んだりはせず、答えが確定した段階でボタンを点ける。相手と競ってきて、あと数問で勝負が決まってしまうような状況に追い込まれた、あるいは一気に決着をつけてしまうべき、というシチュエーションで初めて、誤答の余裕を生かして一気に攻める。これが主流の戦術であった。

 この戦術は極めて合理的である。序盤で誤答をしてペナルティを負うと、その後長い間そのペナルティによる制約とお付き合いしないといけない。ターボをかけるなら後半の追い詰められた状態で、というのは極めて理想的であり、この戦術はもう戦術よりは「常識」といえるほど、トッププレイヤーに染み渡っていた考え方である。クイズ王・古川洋平さんはこの戦術を「早く押して間違えない」という言葉で表した。一見矛盾するこの言葉は、「正確さを前提として理想値の押しをたたき出す」ことを表した名言である。

 この考え方に変化が生じたのが2014年ごろである。そして新たに出現した思想は「誤答罰は最大限有効活用すべき」というものであった。例えば前述の7○3×なら「2回は間違うことができるので、最低2度はリスクを冒すべき」と考えてクイズを始めるのである。

 2014年以前の思想においても、この考え方の片鱗(へんりん)はあった。序盤は誤答しないようにしても、負けそうになったら誤答覚悟で押す。そのために誤答の猶予を残しておく、というのが当時のイデオロギーである。しかし、それ以後の潮流においては「2つ誤答することを事前に許容してスタートを切る」のである。

 より深く説明しよう。前者の考え方は、試合中に頭のなかで「誤答しないスイッチ」から「誤答覚悟で攻めるスイッチ」への切り替えを行う。誤答しないスイッチのうちになるべく多くの正解を稼ぎ、勝ち切るチャンスor負けそうなピンチになった終盤で後者のスイッチに切り替えるのだ。

 これに対して、後者の考え方では始めから「2回分の誤答猶予を使って7問を正解するスイッチ」一本で行くのである。厳密には、終盤のピンチで「誤答覚悟で攻めるスイッチ」で攻めるのだが、この戦略では前者にくらべてより前がかりな早押しが行われるのである。

 スイッチ1つだけ、というと簡単そうだが、実はこれがかなり難しい。実際の所、正解もしくは誤答をするたびに押すスピードを微調整することと同義だからである。正解をしたならゴールが近づくから少しペースを早め、誤答したなら猶予が減ったから少し遅める。このあたりは当人の肌感覚によるところが大きく、ここでは「でもそういうことが練習の末にできるんすよマジで」としか言いようがない。

 つまり、誤答への捉え方は「しないほうがよいもの」から「戦略上失格しない程度に許されるもの」へと変貌を遂げたのである。もちろんそれまでのクイズ大会でもそのような考え方はあったが、しないほうが有利という考え方、誤答のマイナス面を重く見る考え方のほうが主流であった。トッププレイヤーの多くが日常的に「誤答のプラス面」に注目し始めたのは、2014年の後半になってからが初めて、といえるであろう。

 そして、このことが先ほどのデータにつながる。

 セットごとの均質性が生じたのは、常に同じスイッチで試合が行われるようになったからである。かつての戦術では、「誤答覚悟スイッチ」が発生する前に試合が決まり、誤答数が少なく終わる試合が起こりうる。その逆に、競った試合の後半で勝負に行く誤答が連発することもある。

 それに対し、現在主流となっている戦術では序盤から同じモードで戦うため、誤答はほぼ一定確率で出る。試合展開に左右されることが減るが、序盤から誤答が出るので、常に一定程度の誤答が生じるわけである。

 かくしてセット間での誤答数の差は減り、クリーンなゲームが減ったことから誤答のイメージがついたわけである。データはいつだって素晴らしい。

●なぜ戦略は変化したか

 ではなぜこのような変化が起こったのか、そもそもどのようにして新戦略が誕生したのかについて、僕の考察を加えていこう。以降は業界内で広く了解された話ではなく、僕の一研究である。

 まず、新戦略が旧戦略を覆い、普及した理由であるが、これはカンタンである。新戦略と旧戦略が戦ったとき、「最初から2×するモード」の人のほうがスピードがあり、結果を出せたからである。ただでさえ初速が違う上に、新戦略を使える人は前述したように細かなペース調整ができる前提なので、クイズそのものへの練度に長けていた。これにより、序盤からグイグイいくスタイルに合わせる形で多くの人がそのスタイルを採用し、ガチンコクイズのトップ層は半強制的にそのスタイルに変容していったのである。

 では、そもそもなぜこの新スタイルが生まれ、普及したのか。

 その答えは「テクノロジーの進歩」にある。

 クイズにおける早押しというものは、問題を読み、それを他人に先駆けて押す競技である。対面しなければ行えないように思えるが、チャットやスカイプをつなぐことで、ネットを介してPCの前で他人と早押しクイズを楽しむことができる。2000年代中盤からこのようなネットを介したクイズは行われており、ネットでの活動に中心を置くクイズサークルも複数存在した。

 ここに、TwitterなどのSNSが加わると、スカイプでのクイズの輪は格段に広がった。一定人数が集まり、専用の早押しソフトのサーバを建てられる人がいないと質の高い早押しが楽しめなかったため、長らくスカイプでのクイズは「機会ができたらたまにやるもの」であった。

 それが、人が集めやすくなったことで格段に開催頻度が上がり、その集まりを介した交流もグッと広がった。地理的、年齢的な障壁が取り払われ、いい意味でプレイヤー間の垣根がないマッチメイクが日夜行われるようになったのである。その中で、かつて上位プレイヤーのみが行っていた「クイズの場の録音」が学生にも広がったことで、一層復習、深化が進んだ。早押しはもはや耳なじみによる体得にまで至ったのだ。

 特に、時間のある学生は毎日のようにスカイプでのクイズに没頭できる環境下にあった。ただでさえ「知力の甲子園」と呼ばれた「高校生クイズ」の影響でガチンコのクイズバトルを好む若手プレイヤーが増えた時代にあって、このネットを取り巻く環境の変化はクイズの世界に大きな、それでいて目に見えづらい動きをもたらした。毎日のように集まれるメンバーで、毎日のようにガチの早押しを繰り返し、毎日のように読む問題を用意する中で、学生のトッププレイヤーの早押しに対する練度が急上昇したのである。

 それが、スカイプに集まれる少数のメンバーの中のものであったならまだムーブメントにはならない。しかし、その学生たちがそれぞれの所属する大学サークルにおいて、スカイプで鍛えた押しを披露するとその強さはサークル内に伝播(でんぱ)する。

 「この問題は、こんなに早く押すことができるのか」と、見て学ぶことでそのサークルのメンバーが強化される。さらには、強さの源泉を求めてスカイプの参加者が増えたりもする。サークルのメンバー間やSNSを通して知り合ったもの同士で、クラウドのドライブを介しての問題の共有が盛んに行われるようになったことも、より研究の深化・定着を加速させた。そして、その強化メンバーが大会で活躍すると、さらに外側へとその強さ、押すポイントが伝わっていく。

 こうして、過去にないほどの回数でガチンコクイズバトルが繰り返され、ノウハウとしてある種身体的なレベルにまで蓄積されていった。その結果、「頻出問題」への練度が急上昇し、ほぼ差がつかないほどまでに押すスピードが先鋭化するに至る。クイズはもはやスポーツ的反射にまで手を伸ばしたのである。

 ここで、話は冒頭で挙げたように「誤答2回までは織り込み済み戦略」へとつながる。

 大会などで出る問題は、どんなに排除しようとしても「新作」と「既出」に分かれる。新作問題は、事前の段階では分量・難易度ともに予想が難しく、ランダム性がある。しかし、後者の問題は、ある程度の強さと情報を持つものなら蓄積ノウハウによってほぼ差がないレベルで抑えている状態にあるのだ。つまり、後者をもぎ取ることが勝負の鍵を握る。だが、周りも同じぐらいのスピードで押してくることもまた分かっている。

 そこで、他人に一歩先んじるための「誤答織り込み済み」が誕生する。最初から悠長なことは言っていられない、フルスロットルでリスクを背負い込んで押す。当然、ノウハウが頭に、そして体に蓄積されているので、聞き覚えがあるものは高確率で正解できるし、うっかり知らない新作問題でボタンを付けてしまうことも、誤答ペナルティの内であれば許される。

 早押しクイズは、1問につき1人しか正解できない形式なので、スピードアップの結果として例えば2問正解が増えるのなら、それは他人の正解を2問減らすことにもつながる。結果として1つ誤答が増えたところで、ペナルティの枠内ならばノーダメージだ。最初から誤答することは織り込み済みで、メンタルへのダメージもわずかだからだ。頭にたたき込んである既出問題を競合他者に先んじるべく、スピードを優先するスタイルが誕生したのだ。

 あとはもう、前述した通り。既存の戦術に打ち勝つ新戦術は、その強さとともにガチンコの世界を席巻し、意識するしないにかかわらずその戦術を前提とした戦いが多くなってきたのだ。

 そしてこの時期から、学生が社会人を含めたフルオープンと呼ばれる大会(参加制限のない大会)で活躍する機会が増えた。その結果、新戦略を武器とする学生との戦いの中で、社会人プレイヤーの中にもその戦術はある程度伝播した。暇な大学生など一握りしかいなかったが、そこから始まった流れはこのようにして広がったのである。

 かくして、クイズ界におけるパラダイムシフトは「学生クイズ界発」のムーブメントとして成された。それが2014~15年に起こったのは、テクノロジーやネット文化の進歩と、テレビという外的要因が合わさった時期にあったからである。皆が個々人で自分の強さや勝利を追い求めていたことが、結果的に1つの大きな潮流を作り出した。将棋の世界で新しい定跡や戦術が界隈(かいわい)を席巻するように、しかしながらそれとは異なり目に見えぬ形で、「リスキー新戦術」が広まったのである。

 これにより、僕は「誤答が増えた」と感じたのである。つまり、「正確性が失われた」と嘆くのではなく、「新しい何かが生まれた」という興奮にも似た感情で、この現象を見つめているのである。

●それでもクイズはカルタではなかった

 とはいいつつ、先にも触れた僕の著書においては、僕はこのムーヴメントの先っちょに位置しており、それゆえに「このままでは無味乾燥な、既出問題の奪い合いとしてクイズが枯れ果ててしまうのではないか」と危惧していた。既出問題を極めるところまでほぼ極め、新しく作られたものもどんどん吸収し既出化していってしまう状況に、未来の限定性を感じたのである。

 しかしそれから2年、今の僕はその心配をしていない。

 クイズを始めてしばらくの人はよく「クイズは、よく出る問題をいかに押せるかというカルタのようなゲームだ」と例えることがあるし、2年前の僕も「どでかいスケールでのカルタになってしまい、しかもそのどでかいスケールをカバーできる人が増えていく」ことを懸念していた。

 でも、僕がこの2年で得た結論は「クイズはカルタではなかった」ということであり、「誤答が増えたのはカルタ的スピードアップの結果ではなく、戦術的進化の過程にすぎない」というプラスの知見であった。

 なぜ、ポジティブな見方を得たのか。

 それは、「世代の入れ替わり」と「問題の創造性の広がり」ゆえであった。

 ガチンコクイズをスカイプで毎晩繰り広げ、情報を共有しまくっていた世代も徐々に学生ではなくなっていった。日夜研究に励み、それをサークルに伝えることはできなくなっていったのだ。

 そして、強い世代が去ったあとに強い世代が綿々と続くことは稀(まれ)である。1つの強さを皆で目指した反動として、クイズ界にも多様化の波が押し寄せているように感じる。ゆるく楽しみたい、新しい形式も試してみたいなどなど、ガチンコ研究ムーブメントが一段落したことで、戦術は残ったが問題を極めすぎることはなくなったのだ。

 また、多くの人間が「更に新しい知識を加えて問題を作ろう」と挑んだ。過去に出たことがある答えや皆が知っている単語でも、新しい情報を見つけてきて問題文に入れ込み、新しさを加える。これにより、研究を更に越えていくのだ。

 速さを追い求める研究の鈍化と、問題のクリエイティビティが重なり、僕が懸念していた「行きすぎてしまうこと」は現在起こっていない。

 僕はこれを見て、あらためてクイズの奥深さ、可能性を感じた。僕達がやっていたことは既存のパイを奪い合うだけの浅いゲームではない。限定性のない、知識と技術の勝負なのだ、と。

 クイズを離れても、とかく「間違える」ことはマイナスイメージだ。「恥の文化」たる日本においては特に間違ったことを言うのは恥ずかしいからチャレンジしたくない、ということがよくあるし、テレビクイズでも「いかに恥ずかしがらずにボタンを押せるか」が勝負の分かれ目だったりする。

 しかし、現状のクイズの最先端戦術はその壁を超えたところまで来た。ある種の確率的ゲームとして「間違える可能性すら推進力にして進む」のだ。むやみやたらに押すのではなく、自分の鍛錬を信じて常に勝負をかける、積極的姿勢の現れである。挑戦した上でのポジティブな間違いだ。

 2015年、クイズ界に誤答が増えました。いえいえ、素晴らしいことなのです。

 今後、さらなる新戦略の誕生と、それにより一層クイズの奥深さが照らし出されることに、激しく期待。

●データ協力
三木智隆、福塚清嵩

最終更新:6/19(月) 11:10
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