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「新小岩」と「清澄白河」の街に、西側住民が嫉妬する日

6/19(月) 8:06配信

ITmedia ビジネスオンライン

 明治に鉄道が開業して以降、東京は西へ西へと市街の範囲を拡大してきた。特に、“西側諸国”が勢力を拡大するターニングポイントとなったのが関東大震災だ。関東大震災は家屋が密集する“東側諸国”で多くの死傷者を出したが、“西側諸国”での被害は軽微だった。そうした背景もあり、東京の西側には大正から昭和にかけて高級住宅街が形成され、高度経済成長期に入ると人口増加の受け皿となるニュータウンが出現する。いわゆる東京の「西高東低」が加速する。

【豊洲は再開発によってタワーマンションが林立】

 こうして西へと発展してきた東京の姿は、ここにきて大きく転換しようとしている。人口減少、特に生産人口の減少によって都心部の不動産に余裕が生まれたことで、港区、千代田区といった都心回帰の現象も見られる。

 そうした都心回帰現象と連動して新たに注目されているのが、これまで日の当たらなかった東京のイーストエリア、“東側諸国”の駅だ。

●TOKYO東側諸国の逆襲がはじまった

 つくばエクスプレスの開業などによって交通至便となった足立区の北千住駅は近年一躍、注目エリアとなり、「穴場だと思う街(駅)ランキング」(SUUMO、2017年度)で1位にもなった。そして、北千住以外の“東側諸国”にも注目が集まるようになってきた。例えば、再開発が進む両国、以前から東側諸国の盟主だった錦糸町、スカイツリーのお膝元でもある業平橋、曳舟、おしゃれな店が並ぶ蔵前といった具合だ。

 まだ、新宿や渋谷、二子玉川、中目黒といった古豪に勝てる存在にまで成長していないが、この勢いで街が発展すれば、いずれ“西側諸国”を追い越すかもしれない。

●葛飾区民と江戸川区民が同居する新小岩

 そんな急成長を遂げる“東側諸国”の中でも、ライバルとして互いに意識している駅がいくつかある。その中でも、葛飾区の新小岩は総武線の快速と各駅停車が発着する駅として急成長を遂げている。新小岩駅は葛飾区に立地しているが、江戸川区役所の最寄駅(と言っても駅から徒歩20分程度の距離がある)になっているため、駅周辺の商業施設を利用している人の多くは江戸川区民だと思われる。

 そのため、新小岩駅は葛飾区民と江戸川区民が利用しており、1日の平均乗車人員も1998年から増加に転じ、2006年には7万人台を回復。その後、増減を繰り返しながらも微増を続け、2015年には7万4000人台を突破した。

 新小岩駅は総武線の快速が停車することから、東京駅へのアクセスもよく、近年は子育て世帯が増加しているという。その背景には、江戸川区が実施している独自の子育て支援策にある。江戸川区では待機児童問題を解消するために、働くママが0歳児の赤ちゃんでも預けられる“保育ママ”制度を早くから導入しているほか、従来では小学3年生までしか預けることができなかった学童についても年齢制限を撤廃。広く区内の子供たちを受け入れることで、女性の社会進出をも後押ししている。そうした独自の育児支援策と立地が、丸の内や日本橋などで働くビジネスパーソンから高い評価を受けている。

 一方、新小岩駅が立地している葛飾区も新小岩駅の活用を模索している。葛飾区の鉄道網は、常磐線、京成線や総武線東西に延びている路線ばかりで、南北に移動できるのは金町駅ー京成高砂駅を結ぶ京成金町線しかなかった。そのほか、金町駅ー新小岩駅間を結ぶ線路はあるものの、同区間は貨物専用線(通称:新金線)になっている。

●江東区のLRT計画

 新金線は現在も貨物列車が1日に3本程度運行されているが、葛飾区はその貨物専用線を活用するべく、貨物列車が運行されていない合間の時間にLRT(新型路面電車)を走らせることで南北移動の不便を解消しようとしている。隣の江東区でも貨物専用線の越中島支線をLRTに転換して区内交通の充実を図ろうと計画していた過去があるが、江東区のLRT計画は目立った進展は見られない。

 江東区が越中島支線のLRT転換にそれほど熱心ではない理由は、それよりも東京メトロの豊洲駅から分岐して東陽町駅ー住吉駅ー押上駅ー亀有駅のルートで検討されている地下鉄8号線を優先しているからだ。

 再開発によってタワーマンションが林立するようになった豊洲駅一帯は銀座からも近いという理由から、若年人口の急激な増加が見られる。

 今般、地方都市は少子高齢化に悩まされつつあるが、その波は東京にまで押し寄せている。しかし江東区は人口減少と無縁で、1998年以降は、毎年3000人以上のペースで人口が増加している。特に、2006年と2010年に至っては、1万人以上という驚異的な増加を示している。

 そうした若年人口の流入により江東区全体に活気が溢れており、江東区役所のある東陽町駅、旧来から江東区の中心として栄えてきた門前仲町駅なども人気が急上昇している。

 旧来から栄える東陽町や門前仲町に対して、清澄白河駅は江東区内では都市開発が抑制的だったこともあって光が当たることが少なかった。

●“文明開化”を果たした清澄白河は目指される存在に

 そんな清澄白河が、ここ十数年の間で急速に伸びを見せている。清澄白河が、発展する最初のきっかけになったのは、2000年に都営大江戸線の駅が開設されたことだろう。

 それまで清澄白河の駅周辺部は、小さな町工場がひしめく準工業地といった趣だった。大江戸線の駅が開業したことで、清澄白河から再開発で急速発展を遂げた汐留駅、六本木駅などと一本で移動できるようになった。大江戸線に加え、2003年に水天宮前駅止まりだった東京メトロ半蔵門線が押上駅まで延伸開業。大江戸線と半蔵門線の交点となる清澄白河駅にも半蔵門線の駅が設置されることになり、交通アクセスはさらに向上。これが、清澄白河の発展に拍車をかけた。

 大江戸線、半蔵門線という、2つの黒船襲来によって“文明開化”を果たした清澄白河は、それまで江戸情緒を残していることがウリでもあった。

 そうした江戸情緒のある清澄白河駅周辺だが、歳月を経るごとに高層マンションがひしめくようになり、新住民が増えつつある。

 さらに、清澄白河の“文明開化”を後押ししたのが、サードウェーブコーヒーの代名詞的存在だった「ブルーボトルコーヒー」が日本初となる店舗をオープンさせたことだった。ブルーボトルコーヒーが清澄白河に出店したことで、清澄白河は“コーヒー激戦地”“コーヒータウン”としてメディアから取り上げられる回数が急増。これまで“東側諸国”の動向に見向きもしなかった“西側諸国”も対抗意識を燃やすようになっている。

 特に、渋谷のお膝元でもある池尻大橋は「清澄白河につづけ!」とばかりに“西側諸国”のコーヒータウンを自認する存在として名乗りを挙げているが、話題性は清澄白河には及ばない。

 “東側諸国”と“西側諸国”のパワーバランスは、ここ数年で変化が生じつつある。それは新小岩と清澄白河だけの力によるものではないが、両駅はそうした地殻変動をけん引する存在になりつつある。

(小川裕夫)