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【被災地を歩く】保存の荒浜小、解体の閖上中 津波を語り継ぐ2つの「証し」

6/19(月) 7:55配信

産経新聞

 東日本大震災で大きな被害を受けた仙台市若林区荒浜地区と宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区。市は違うが、いずれも仙台湾に面し、貞山堀でつながり、直線距離も7キロほどだ。津波の直撃を受けながらも多くの人の命を救い震災遺構として保存された市立荒浜小校舎を、犠牲となった市立閖上中の生徒の遺族たちが訪ねた。

 「閖上中は1階の途中まで津波が来たんですよね。この写真は貴重です。別の場所で見てもリアルじゃない。ここで見るから『あっ』と思う」

 ■校舎に残る爪痕

 4月末から一般公開が始まった荒浜小校舎。その1階は傷ついた床や壁など津波の生々しい爪痕が残り、壁には当時の写真が飾られている。写真を見た閖上中遺族会代表の丹野祐子さん(48)は息をのんだ。

 荒浜地区と閖上地区は津波の直撃を受け、建物や町並みが跡形もなく流されてしまった。大きく違うのは荒浜小は震災遺構として残され、閖上中は残らなかったことだ。

 旧閖上中の校舎も津波が1階部分に浸水。校舎に逃げ込んだ地元住民らの命を救ったが、校外で生徒14人が犠牲になった。そんな閖上地区の被災の「証し」も、かさ上げ工事のためにすでに解体された。

 丹野さんら遺族会は震災から1年後の平成24年3月11日、旧閖上中の敷地内に慰霊碑を建立。管理を行うための社務所「閖上の記憶」を建て、献花や千羽鶴を受け付けた。また、語り部や案内人として震災の体験を語り継いできた。

 今回は、震災遺構として残った荒浜小を見学し、お互いに情報共有し、伝承活動に活かしていこうと訪問することが決まった。

 ■「見えない分、言葉で」

 震災から6年3カ月となった今月11日、荒浜小の校舎内を案内したのは嘱託職員の高山智行さん(34)。高山さんは若林区出身。務めていた会社を辞めてこの仕事に就いた。「震災後、何もなくなったこの被災地を訪れる人がいる。荒浜小校舎が公開されたら、迎える人が必要だと思った」と話す。

 丹野さんら遺族会のメンバーは、荒浜小を見ながらしきりに「うらやましい」と話し、残すことができなかった旧閖上中の校舎に思いをはせた。

 丹野さんは「こちらは高山さんのように、荒浜が好きでどうにかしたいという若い人が多い。遺構を目で見た上で高山さんの話を聞ければ、震災について十分伝えることができる。私たちは目で見えない分、言葉を大事にしないといけない」と語った。

 閖上の遺族会の佐々木清和さん(50)も、荒浜小校舎を見ながら「ここに来れば津波があったと分かるし、子供や孫にここが母校だと言える。閖上は何もない」とつぶやいた。

 ■伝えていく決意

 閖上の被害を多くの人に伝えたいと考え、震災後からこれまでに8万人もの人が「閖上の記憶」を訪れている。だが今年度、県からの助成金が打ち切られることになった。プレハブの維持費など活動には費用がかかる。今後は自主運営を迫られる。寄付やガイドの費用を自らでまかなっていかなければならない。

 丹野さんは「震災から6年経って『自立しなさい』ということなんだと思う。維持していくのは大変だけど、いつかは自分たちでやらないといけない」と話し、今後も行政ができない被災者支援を続けていきたいという。一方で震災遺構が残らなかったことについては、「残してほしくなかった」と保存に否定的な意見があったことも伝えていきたい、としている。

 石巻市立大川小の例を見るまでもなく、震災遺構の保存・解体をめぐっては議論が必要だ。しかし、そうした議論の輪の中に「震災を伝えていく」「地域を伝えていく」という強い決意を持った多くの人たちがいることを改めて感じた。(大渡美咲)

最終更新:6/19(月) 7:55
産経新聞