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℃-ute 涙と笑顔と愛に溢れた4385日“ありがとう!”―――アイドルシーン全体の分岐点となった夜 100%レポート公開

6/19(月) 12:10配信

Billboard Japan

 2002年6月30日 ハロー!プロジェクトキッズのメンバーになってから15年、そして2005年6月11日 ℃-ute結成から12年。いくつもの苦悩や危機を乗り越えながら、日本中のアイドルから敬愛されるほどの存在となった矢島舞美、中島早貴、鈴木愛理、岡井千聖、萩原舞の5人は、2017年6月12月 夢のさいたまスーパーアリーナでのラストコンサートをもって解散し、それぞれの道へと歩み出した。

℃-ute ラストコンサート写真(全12枚)

℃-ute 波乱万丈なアイドル人生。長いトンネルを抜けた先に待っていた夢の舞台

 ℃-uteは、つんく♂も「ハロプロ一のパフォーマンス」と評したほどの実力派グループで、各メンバーの歌やダンスはもちろん、ビジュアル、キャラクター、5人の関係性などは各所で高く評価されている。特に2016年夏の解散発表以降は鈴木愛理も「無敵」と自画自賛するほどの次元まで登り詰め、実際に彼女たちのライブに度肝を抜かれる者たちはこの10か月間後を絶たなかった。しかし、自他共に認める最強のアイドルグループになるまでの道のりは、世間的にはあまり知られていないかもしれないが、ひたすら苦難の日々だった。言ってしまえば、彼女たちはハロプロキッズより先にデビューしたBerryz工房に選ばれず、Berryz工房のお披露目ライブを観て悔しさのあまり号泣したメンバー達である。その後、8人での℃-uteの活動がスタートし、2007年のメジャーデビューイヤーには【第49回日本レコード大賞】最優秀新人賞を受賞し、紅白への出演まで果たしてみせるものの、その前後にはメンバーの卒業が相次ぐなど波乱万丈なアイドル人生を過ごすことになる。

 また、2010年あたりにはメンバー5人中4人が「℃-uteを辞めよう」と考える事態が勃発。鈴木愛理だけがメインボーカルを務めることになったシングル『SHOCK!』の発売前後にグループ内は険悪なムードとなり、心ない者たちが「バックダンサー4人、おつかれさま~」と書いたボードを掲げる事件もあり、鈴木と岡井はマネージャーにこのままでは続けられないと直談判、萩原も求められていないのなら「辞めたい」と真剣に考えるようになる。その後の作品では各位に歌割りが振られたりと元々の形態に戻るものの、鈴木はメンバーに心を閉ざすようになり、6才という若さでアイドルになった萩原は変声期で思うように歌がうたえなくなる事態が重なったりと、なかなか長いトンネルを抜けることが出来ずにいた。そんな状態の℃-uteをリーダーとしてまとめなければいけない矢島舞美も精神的に追い詰められ、初めて「リーダーも℃-uteも辞めたい」と口にするようになる。「5人が上手くいく為に中間管理職になりなさい」と言われていた中島早貴もこの状況に対しては術がなかったことだろう。

 それでも5人は夢を叶えるまでは辞められないと奮起。初の日本武道館や海外公演を実現させていく。そして、2014年、ハロコン名古屋公演の際、岡井が本音でぶつかってきたことをきっかけに鈴木は泣きながら全部を吐き出し、メンバーに心を開くようになる。こうして長いトンネルを抜けてみせた℃-uteは、その間も各々にスキルと個性を磨き続けてきたハロプロ一のパフォーマンスに加え、何でも本音で話し合える強い絆を幾度となく感じさせながら、2015年の結成10周年には横浜アリーナでのワンマンを実現。矢島舞美がハロー!プロジェクトリーダーに就任したこともあり、℃-uteはハロプロのみならずアイドルシーンを牽引していく立場となり、このあたりから彼女たちに注目する人々が一気に増え、多くの著名なアイドルもファンであることを公言するようになっていった。そして2016年、夢のさいたまスーパーアリーナ公演が決まったことを機に5人は解散を決意。それぞれの道へと進んでいくことを選んだ。

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最終更新:6/19(月) 12:10
Billboard Japan