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いとうあさこさん 子ども欲しくて結婚したくなったアラフォーで…やっと「仕事だー!」

6/19(月) 12:12配信

読売新聞(ヨミドクター)

――女性として子供を授かれるリミットに近い年齢で、「仕事だー!」って忙しくなっちゃったそうですね。

 そうなんです。42、3歳の時、とにかく子供が欲しくて結婚したいと思った時期があったんです。でも、39~40歳頃から急にお仕事で忙しくなっていって。それも、私は「若手」としてお仕事をいただくようになったんです。みんなは20歳ぐらいから仕事を続けてきて、40歳ぐらいになったら落ち着こうという時期ですよね。

――新体操の格好をして、「浅倉南、39歳。最近、なんだかイライラする」ってフレーズで人気が出た頃ですね。

 そうです、そうです。あの頃が当時の彼とのお別れの直後です(笑)。

 何かが吹っ切れたのか、40歳に近いという重みがそうさせたのか、やっていることは変わらなかったんですけど、急にいろいろなお仕事をいただくようになりました。天海祐希さん主演の「Around 40 ~注文の多いオンナたち~」(TBS系)というドラマが人気で、「アラフォー」という言葉が流行(はやり)だした頃でした。神様が「さあ、今、出なさい」とお膳立てしてくれたように感じましたね。

――人生って、タイミングなのかもしれませんね。

 結婚した人に「何で結婚したの?」と尋ねると、誰もが「タイミング」って言葉を使うじゃないですか。以前は「そんなの意味わからないよ」と思っていましたが、年を取ってきて、今では「いろんなことって、本当にタイミングなんだな」と実感するようになりました。

「マッチのお嫁さんになるため」芸能界を夢見て…

――少し時間を戻しましょう。バイト生活の後に芸能界に入ったわけですが、何がきっかけだったのでしょうか。

 小さい頃から、芸能界へのあこがれはあったんです。小学生の頃には、人気だったピンク・レディーさんが大好きでした。

 でも、「テレビに出たい」などと言うと怒られる学校でしたし……。

 その後、近藤真彦さんのファンになり、「マッチのお嫁さんになるために、私も同じ仕事につくんだ」と、「東大美少女コンテスト」や「ミスセブンティーン」などにも応募しました。いまだに返事が来ていません(笑)。

 心のどこかで、うっすらと芸能界への夢を追いかけていたんだと思います。18~19歳の時には、「やっぱり猫が好き」(フジテレビ系)という深夜ドラマにはまりまして。それに出演していた室井滋さんがすごく好きでした。実は、小さい頃から伊東四朗さん、いかりや長介さんのような、悲劇と喜劇の両方をこなせる役者さんってすごいなと思っていて。舞台をやりたいと思っていました。

 ただし、そんな思いはうっすらと持っていただけで、家出したのは、それが理由ではありません。

 そして23歳ぐらいの時、当時の彼の借金返済も落ち着いてきたので、夜学の専門学校に行ったんです。

――専門学校というと、お笑い芸人を育成する学校かと思ったのですが……。

 入学したのはミュージカルの専門学校でした。けれど、やりたかったのは、やっぱり喜劇だったんです。そこで学校の同級生と一緒にコンビを組み、2人でショートのお話を書いて、劇場を借りたりもしてみました。芸能事務所にも200通ぐらい御招待のお便りを出しちゃったりして。結局、お客さんはほぼ身内でしたが。

 ちょうどバラエティー番組の「ボキャブラ天国」(フジテレビ系)が大人気で、新しい芸人さんがどんどんテレビに出ている時代だったので、私も勘違いしたんですよ。「誰でも有名になれるぞ」と思って。

 初めてネタっぽいのをつくって、「ネタ見せ」と呼ばれるオーディションがあったので、参加してみたら、知らない芸人さんが100組ぐらいいて、みんなすっごいおもしろかったんです。

――お笑いの世界も裾野が広いですよね。レベルの高さに驚いた?

 はい。そんな簡単に売れるわけじゃないんだと1日目にして理解しましたね(笑)。

 でも、それがいい洗礼になった。大好きないかりや長介さんや伊東四朗さんは、お笑いの世界で頂点に上り詰めたから、悲劇を演じても素晴らしいんだと理解できました。それなら、ちょっとこの世界を突き詰めてみようかなと考えたのです。

――少し寸劇っぽい、シチュエーションコントのようなものをやっていたんですか?

 そうです。いわゆるコントでした。そのうちに相方は「自分はお笑い好きじゃないことに気づいた」って捨てぜりふを吐いてやめていきましたが(笑)。

 私がネタを書いていたんですが、やっぱりセンスが少し古かったと思います。その後に所属した今の事務所には、ウッチャンナンチャンさん、バカリズムさんたちのように、センスあるコントを得意にする先輩芸人さんがたくさんいます。

 それだけに、私のやっているコントが古かったためか、最初は厳しかったですね。今ほど女芸人の居場所みたいなものが認められていたわけでもなかったですし。「やっぱり女芸人なんてつまんねぇじゃん」みたいな雰囲気もあって。だから、自信も持てなかったのに、よくやめなかったなと思いますね。いとうあさこさん「子ども欲しい!」…アラフォーで“DNAの最後の叫び”

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