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世界と戦う力 青森が原点/カーリング五輪代表

6/19(月) 10:25配信

Web東奥

 筋骨隆々とした全身の力をブラシに込め、ストーンを操り勝利へ導く。カーリング日本男子で20年ぶりの五輪出場を決めたSC軽井沢クラブ(長野県)。セカンドの山口剛史選手(32)=北海道出身=が世界と戦える力強いスイープを習得した原点は、青森市で過ごした2年間にある。2004年、「世界を目指す」と心に決め、青森大学に編入した。山口選手は6月、本拠地の軽井沢アイスパークで取材に応じ、「あの2年があったからこそ、今がある」と力を込めた。
 「カーリングの方がチャンスは大きいのでは」。カヌーを極めようと駿河台大学(埼玉県)に進んだ03年の秋、どちらが世界に近いかを真剣に考えた。強豪国と比べて練習環境に乏しいカヌーで18歳から世界を目指せるのか。高校はラグビー部で全国大会に出場した一方、冬は地元のカーリング場に通い、世界ジュニアに出た実績もあった。
 「青森も男性チームをつくるらしいよ」。小中高の同級生で弘前大学に進学した目黒(現・金村)萌絵さん(32)=後にチーム青森としてトリノ、バンクーバー五輪出場、北海道南富良野町在住=からの連絡に、心が動いた。メンバーが一人足りないらしい。
 阿部晋也さん(37)ら「スーパースター」(山口選手)と一緒に競技できると聞き、「超ラッキーで今しかないと思った」。
 編入前の04年1月から移住。「もう進路変更はできない」。カーリングで世界を目指すと、心に決めた。
 夏は自転車でジム、冬はバスでカーリング場のある青森市スポーツ会館に通った。交通ダイヤが乱れる大雪の日は「40分かけて歩いた方が早かった」という。
 スイープを強化してチームに貢献する、と決意して肉体改造に着手。トレーニングに加え、「ブラシを押さえつける圧力を増やすには体重の増加が一番」と考え、「米トレ」に励んだ。1食3合がノルマ。月に何度も、環状線沿いのスーパーから10キロのコメを自転車に積んで帰った。
 古本屋にもよく通った。イチロー選手など、競技の異なるスポーツ本を購入しては読みあさり、プロ選手の技を取り入れようと試みた。本嫌いだった高校時代から一変。「青森で読書が好きになった」と笑う。
 カーリング漬けで蓄積した疲れは、カーリング仲間との交流で癒やした。山口選手ら男子チームの3人が、青森市古館の同じアパートに暮らした。阿部さんの部屋が仲間のたまり場で、毎週のように競技関係者らが集い、目黒さんら女子チームも交えて食事を共にするなど、信頼関係を築いた。
 世界と戦う技を磨くと同時に、青春を謳歌(おうか)し、「青森で一生を終える予定だった」。しかし、仲間がそれぞれ新たな道を歩むため、チームは2年で解散。山口選手は、現在所属するSC軽井沢クラブへ移籍した。
 「(山口選手は)競技を取捨選択する決断をして青森に来たので、カーリングに対してストイックだった」と目黒さん。青森県カーリング協会長の佐藤健一さん(67)=青森市=は「競技の話をするときの目は輝き、カーリングをできることがうれしくてたまらない、という感じだった」と話す。
 今や世界と互角に戦う山口選手。「お世話になった人たちのおかげで今も競技ができている。お礼のためにも五輪で良い結果を出し、青森の皆さんと一緒に喜び合いたい」。真っすぐな瞳で、そう答えた。
 〈やまぐち・つよし 北海道南富良野町出身。身長175センチ、体重75キロ。青森大卒。現在は長野県在住で、NPO法人スポーツコミュニティー軽井沢クラブ職員。SC軽井沢クラブのセカンドとして出場した2016年世界選手権で日本男子過去最高の4位。17年の世界選手権で平昌五輪の出場が決定。日本男子は開催国枠だった1998年長野五輪以来20年ぶりで、自力での出場権獲得は初めて〉

東奥日報社

最終更新:6/19(月) 10:27
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