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天童よしみ「珍島物語」が変えた「歴史」…日本語曲禁止の現地でライブ

6/20(火) 11:00配信

スポーツ報知

 歌手生活45周年を迎える歌手・天童よしみのヒット曲「珍島物語」(作詞作曲・中山大三郎)。本格演歌からイメージチェンジし、韓国を舞台にした歌謡曲に初挑戦した同曲は、発売した96年から98年にかけてロングヒットし、ミリオンセールスを達成した。同曲で97年のNHK紅白歌合戦に初出場し、昨年まで20年連続(通算21回)出場している天童は「自分の殻をぶち破った」と思いを語った。

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 15歳でデビューしてから25年目のことだった。レコード会社から「今までの天童よしみの演歌のイメージをガラッと変えよう」と提案された。93年に「酒きずな」で紅白歌合戦に初出場したが、2年間遠ざかっていた。「このチャンスを逃したらかっこつかんな」

 32枚目のシングルの舞台は韓国南西部の珍島。月2回の干潮時に離島の芽島(モド)との間に道が現れる「海割れ」をモチーフに、遠く離れた相手への思いを歌った。最初の曲名は「海割れ」だったが、「珍島物語」として96年2月に発売された。

 「それまで歌ってきた演歌と全く違うポップス歌謡のゆったりとしたメロディーで、知り合いの作家さんから『本当に歌うの? よしみちゃんに合ってない』と言われたり。めちゃくちゃ不安になったけど、それをバネにして頑張ろうと。敵が多い方が燃えるんです」

 島倉千代子さんの「人生いろいろ」などを手掛けた中山大三郎氏(05年死去)が作詞作曲。「ゴダイゴ」の生みの親で、先月亡くなった山田廣作氏がプロデューサーを務めた。

 「レコーディングで、中山さんは『演歌じゃない声を引き出したい』と。最初はキーがすごく高くて、ファルセットすると弱すぎる、地声でいきたいとお願いして下げたんです」。同じ歌詞を違う歌い方で2回歌って、その後合成した。「メロディーがザ・ピーナッツの『モスラの歌』のように聞こえて心地良かったです。山田さんからは『この歌で天童よしみはスターにならなきゃあかん』と常に言われて期待されてました」

 97年には珍島を訪問。当時、韓国で日本語の曲を歌うのは禁じられていたが、珍島郡守(日本の市長にあたる)の特別な計らいでライブが実現した。

 「『海割れ』を見に海岸へ向かうバスの中で、無線で連絡がきて『お祭りでお客さんが多く集まったので歌ってください』と。衣装もカラオケもないまま、即興で歌いました。お客さんは日本語は分からないけど、韓国語の『霊登(ヨンドン)サリの』『カムサハムニダ』のところだけは異常なほどに歓声があがって、言葉の壁があっても歌で伝わるんだと。私自身の歴史、日本の歴史も変えたという感覚があった」

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最終更新:6/20(火) 11:00
スポーツ報知