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放影研謝罪「遅すぎる」 長崎、広島の被爆者 憤り、募るむなしさ

6/20(火) 10:30配信

長崎新聞

 放射線影響研究所(放影研)のトップが、前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)の設立当初に、被爆者から「調査すれども治療せず」との批判があったことについて謝罪の意を示した。当時検査を受けた長崎市の被爆者、下平作江さん(82)は「原爆を生き延びても人間らしく扱われず、研究の“動物“と見られていた。今ごろ謝罪をされても遅い」との思いを口にした。

 下平さんは10歳の時、長崎原爆の爆心地から約800メートルの防空壕(ごう)で被爆。髪の毛が抜けたり、鼻血が出たりするなど症状に悩まされた。

 中学生の時、教師に呼ばれ、ABCCが迎えに来るので、ほかの生徒数人と一緒に行くよう言われた。米国のジープに乗せられ「治療してもらえるのかな。薬はもらえるのかな」との期待もあったという。

 ABCCの建物に到着すると、生徒は別々の部屋に入れられた。外国人の男性がいて、服を脱ぐよう身ぶり手ぶりで指示。下半身の下着も指さしたが、下平さんは首を振り下着をつかんで必死に抵抗した。相手はあきらめたが、頭部や上半身を機器で撮影された。

 ABCCは毎年学校に迎えに来た。グラウンドへ逃げたこともあったが、結局は連れていかれた。何のために、何を調べているのかは教えてくれなかった。ただ、検査が終わるとガムをくれた。嫌な思いは消えなかったが、空腹が少しだけ紛れた。

 あれから約70年がたち、放影研は当時の対応の非を認めた。それでも「(設立当初に)検査を受けた多くの人はすでに亡くなっている。原爆を落とした米国は反省しているのだろうか」と話し、むなしさを募らせた。

 19日に広島市内であった放影研設立70年の式典には被爆者ら約320人が出席した。8歳の時、同市内で被爆した岡田恵美子さん(80)は「きのこ雲の下で起きたことや被爆者の思いを放影研が理解してくれたとは思えなかった。70年かけて蓄積した調査を、絶対に核兵器を使ってはいけないという証拠にしてほしい」と訴えた。

 放影研は今回の謝罪の意を、被爆者が研究に協力したとして「感謝」と位置付ける。放影研の「長崎地元連絡協議会」の委員で、県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(77)はこう指摘する。「被爆者は、米国がこれまでの研究データを核開発に使っていないか不安に思っている。研究は日本が主体となるべきだ。被爆者への謝罪が本当の意味を持つのかどうかは今後の行動次第だろう」

長崎新聞社

最終更新:6/20(火) 10:30
長崎新聞

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