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他国罵倒と自画自賛―戦時中の世相を見つめた清沢洌「暗黒日記」から今を見る(加藤直樹)

6/22(木) 10:00配信

アジアプレス・ネットワーク

◆戦前の外交評論家が残した日記

清沢洌(きよさわ・きよし)は、戦前に活躍した外交評論家である。日米関係を中心に、外交問題を自由主義的な立場から批評し続けた。その清沢の著作の中で、今も広く読まれているのが、死後に刊行された『暗黒日記』だ。清沢が太平洋戦争中に書き残した日記である。(加藤直樹)

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日米開戦の1年後、1942年12月から始まり、急性肺炎で50年の生涯を終えた45年5月まで書き続けられた。戦時下の政府やメディアの論調、社会の雰囲気などを観察、批評したもので、彼はこれを、戦争が終わった後に日本の外交政策を検証するための資料としてまとめていた。

『暗黒日記』が今も読まれているのは、当時の人々の認識や思考を鮮明に切り取っているからだ。清沢は例えば、敗色が濃くなるほどに当局やメディア、知識人の発想が主観的になっていく様子を記録している。つまり、日本の視点から見える風景、あるいは「見たい」風景だけを見ているのだ。相手の視点から日本がどう見えるか、客観的には世界で何が起きているのかを知ろうとしない。清沢は、そもそも目算のないままにアメリカと中国を相手に戦争する羽目になったのも、そうした主観性のためだと考えているようだ。

以下、いくつかの文章を抜き出してみよう(岩波文庫版から)。

「奥村情報局次長は日本の対外宣伝は非常にうまくいっているといっている。この人々は対手(あいて)の心理を知らず、自己満足がすなわち対手の満足だと考えている」(1943年2月10日)

「敵国(アメリカ)は日本の事情に通ずる者を、それぞれに重要視している。…日本はそうした者を遠ざけるのである」(1943年5月2日)

「日本で最大の不自由は、国際問題において、対手の立場を説明することができない一事だ。日本には自分の立場しかない。この心的態度をかえる教育をしなければ、日本は断じて世界一等国になることはできぬ。総ての問題はここから出発しなければならぬ」(45年1月1日)

「日本人は、口を開けば対手を軽く見ることばかりしており、また罵倒―極めて低級な―ばかりしている」(45年3月11日)

敵国アメリカを知ろうとするのではなく、罵倒するばかりであったということだ。清沢は、それに加えて日本の自画自賛が盛んに行われているさまを多く書きとめている。たとえばこの一文だ。

「この朝、また例によって満州国、(中国の)汪精衛、比島(フィリピン)のバルガスその他要人をして日本の政策を賛美せしめて放送した。かかる小児的自己満足をやっている以上は、世界の笑い物になるだけである」(1943年7月7日)。汪精衛、バスガスとは、共に日本が擁立した現地指導者だ。つまり、傀儡に日本を賛美させているのである。

敵を知り、己を知れば百戦危うからずという。戦争でも外交でも、向き合う相手の考え方(「対手の立場」)や力量を知ること、自分の側の姿を客観的に知ることが重要である。相手国やその人々を悪魔のように描いたり、あるいは無能集団のように見て嘲笑することで得られるものは何もない。自画自賛に至っては負け戦の兆候だろう。

清沢の分析は、戦時中の日本にあふれた誤った思考傾向を、鋭くえぐっている。彼の眼借りて2017年の日本を見たとき、そこにどのような光景が見えてくるだろうか。今、私たちの国際認識は、「対手の立場」が見えるものになっているか。【加藤直樹】

加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。