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【のびやかに・浜木綿子】(15)照之の無垢な表情 日々の成長に幸福感

6/24(土) 15:03配信

スポーツ報知

 夫だった市川猿翁さん(当時・猿之助)の顔に、とてもよく似た赤ちゃん。誕生を両家で喜び合い、みんなに囲まれる息子を見ながら、この子は本当にみんなに望まれ、愛されて生まれてきたのだと思ったものです。

 まだ首のすわらない(香川)照之。授乳、おむつの交換…繊細な命から、いっときも目を離すことはできません。泣き声ひとつにも、日に日に力が増し、成長が分かります。こちらを真っすぐに見つめる無垢(むく)な表情、もみじのような小さな手の動き。私も一時期とはいえ、澤瀉(おもだか)屋に嫁いでいたわけです。少しは小さな役目を果たすことができたのかな、などと思っていました。

 妊婦は、周囲から見れば産み終えれば、ひと安心という印象です。私の場合、産後の肥立ちがあまりよくありませんでした。妊娠初期に体調がすぐれなかったとき。てっきり何か軽い病気だろうと思い、風邪薬をしばらく飲んで様子をみていたのです。身ごもっていることを告げられたとき、絶句しました。

 先生は「大丈夫。気にしなくていい」とおっしゃいました。でももし、おなかにいる子に影響があったら、私はどう責任をとればいいのだろう。自分の愚かさを恥じながら、生まれてくれるまで、本当に気が気ではありませんでした。元気な我が子と対面できたとき、涙があふれました。

 仕事でも体験したことのない長期の緊張感が続いていたので、産後は安堵(あんど)感と、とてつもない疲労感に襲われました。1965年頃。手術の傷口をホチキスでパチン、パチンと留める方法がありました。私が帝王切開で切った跡もそのやり方。その針のようなものを抜くとき、簡単に取れず、激痛との闘いです。そばで“抜糸”を見ていた妹が、卒倒しかけたほどです。

 生まれて間もない照之は、母乳を飲む力があまり強くなく、私のものを絞り出し、哺乳瓶に移し替えて回数を分けて飲ませたことも。男の子は手がかかるといわれますが、照之もよく熱を出していました。

 母親になって、ずっと我が子と接していると、母性とともに誇りのような、これまで自分の知らない感情にも気づかされます。私は3人姉妹で育ちました。母もこんないとおしさを持って育ててくれたのでしょう。感謝の気持ちとともに、命のつながりに思いをはせました。

 実母の口癖は「3歳までが一番肝心」。10か月で歩き始め、おむつが外れたのは2歳。母の教えで毎晩、必ず決まった時間に照之を起こし、家族交代でトイレに連れていきました。

 そのころ、猿翁さんの希望で港区麻布に住んでいました。公園デビューは、近くの有栖川公園。ママさんたちとの交流も生まれ、いろんな育児の話や悩みを聞くことができるのが新鮮で、幸せな日々でした。(構成 編集委員・内野 小百美)

最終更新:7/4(火) 15:18
スポーツ報知