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「生きて生きて、生き抜いて」沖縄戦を生き延びた少年を救った、ある言葉とは

6/23(金) 6:10配信

BuzzFeed Japan

1945年、沖縄。日本国内で唯一、米軍が上陸して地上戦となったこの場所で、激しい戦いを生き抜いた一人の少年がいた。そんな激しい戦闘に巻き込まれたのは、兵士だけではなかった。多くの学生たちも駆り出され、そして、亡くなった。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

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まだ10代だった少年は、多くの遺体が積み重なる戦場で自らに問いかけた。「戦争とは、何なのか」と。

日米で合わせて計20万人以上の命が奪われた、沖縄戦。日本側の死者の半数は民間人で、当時の沖縄県民の4人に1人とも言われている。

自らも動員された経験を持つ、元沖縄県知事の大田昌秀さんは、「絶対に二度とあんなおぞましい戦争をやらせてはいけない」と著書に記している。

1925年生まれ。戦争末期の1945年、沖縄師範学校の2年生だったころ、「鉄血勤皇隊員」として戦闘に動員された。

大田さんは過酷な戦場を「奇しくも」生き抜きながら、たくさんの友人を失った。

自身や友人たちの体験をまとめた「沖縄健児隊の最後」(藤原書店)は2016年に刊行された。1953年に出版された「沖縄健児隊」をベースにした内容だ。

そもそも、なぜ軍の補助要員として10代の学生たちが動員されたのか。大田さんは「はじめに」で、その経緯をこう振り返っている。

“沖縄戦の実相といえば、すぐに思い出すのは、沖縄住民の犠牲の大きさと沖縄の十代の若人たちの犠牲の大きさであります。“

当時の沖縄には計22の中等学校と女学校があり、「そのすべての学校の十代の生徒たちが、戦場に駆り出された」という。

“十代の若人たちを戦場に出すには、先ず国会で法案を策定し、それに基づいて出すのですが、沖縄の十代の男女生徒たちは、その法的根拠もないまま超法規的に戦場に駆り出されたのです。“

それまで戦闘の訓練もろくにしていなかったような若者たちだ。超法規的に、そして否応なく戦場に駆り出された若者たちの「過半数」が亡くなった。

“男子生徒たちは、1787人以上が軍に動員され、921人以上が戦死。女子生徒が735人中、296人が犠牲になっています。“

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最終更新:6/23(金) 10:52
BuzzFeed Japan