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幕末―明治に稼動、白糖工場跡を公開 奄美大島瀬戸内町

6/25(日) 13:51配信

南海日日新聞

 幕末から明治にかけて鹿児島県奄美大島の瀬戸内町久慈で稼働した白糖製造工場跡の発掘調査に伴い、県立埋蔵文化財センターは24日、調査現場を一般公開した。工場は薩摩藩が手掛けた国内初の洋式建築事業「集成館事業」で建設された。オランダ製の蒸気機関を備えていたとされ、これまでに高さ36メートルの煙突設置跡や建物跡の一部とみられる遺構などが確認された。発掘現場を訪れた人々は、当時の最先端技術を結集した施設跡を見学し、奄美にも足跡が残る近代日本発展の歴史に思いをはせた。
 同センターによると、奄美大島の白糖製造工場は久慈、金久(奄美市名瀬)、瀬留(龍郷町)、須古(宇検村)の4カ所に建設された。久慈工場は面積約2400平方メートルの2階建てで、長崎県のグラバー邸や東京の銀座煉瓦街建築で知られるアイルランド人建築技師のウォートルスと白糖製造技師のマッキンタイラーらが建築。1867(慶応3)年から71(明治4)年までの4年間、稼働した。
 発掘調査は「かごしま近代化遺産調査事業」の一環。2016年10月の調査でイギリス製れんがなどが出土したことから、今年6月5日から再調査を進めている。今回、外国製の耐火れんがや工場の壁面資材とみられる赤れんがが見つかり、大型煙突跡とみられる遺構も新たに確認された。
 現場公開は午前、午後の2回あり、集落内外から合計約140人が参加。工場跡の特徴や出土品を見学しながら、同センター担当者の説明に聞き入った。奄美市名瀬の自営業、元治雅宏さん(67)は「家系図で5代前の先祖が須古の白糖工場に勤めていたことを知った。自分のルーツを考える上でも、興味深い。須古の工場跡もぜひ調査してほしい」と話した。
 久慈集落の武田政文区長(73)は「近代的な施設があったことは大きな誇り。住民の地元愛も大きくなるのではないか」と声を弾ませた。
 発掘調査は28日まで続き、遺構は調査後に埋め戻される予定。

南海日日新聞

最終更新:6/25(日) 13:51
南海日日新聞