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日本橋に空は必要か 川の水面から眺める首都高のいまの姿

6/25(日) 14:10配信

乗りものニュース

首都高老朽化、日本橋川は空を取り戻すのか?

 首都高(首都高速道路)は、東京都区部を中心に、その周辺地域に広がる都市高速道路です。最初の京橋~芝浦が開通したのは1962(昭和37)年で、1960年代中には現在のC1都心環状線を中心に、1号から5号までの各線が全線あるいは一部開通、K1横羽線も東神奈川ICまでが開通しました。このとき、用地取得と建設期間の兼ね合いから、都心を流れる川のなかに支柱を立て、川の上空に高架の道を通すということが各所で行われました。

【動画】日本橋川を河口から神田川まで遡上(3分32秒)

 それから半世紀。首都高はその老朽化にともない、どう更新するかが今後の大きな課題になっています。特に騒音、振動問題との兼ね合いもあり、現在の高架を地下トンネル化しようという案も検討されてきました。日本橋川にかかる高架の撤去を目標に掲げる「日本橋川に空を取り戻す会」の活動も注目されました。

 日本橋川の上空にかかる首都高の高架は、おもにC1都心環状線と6号向島線、そしてそれをつなぐ江戸橋JCT(ジャンクション)です。いずれも交通量の多さには定評があり、交通の要所といってもいいところでしょう。

 しかし、ここが交通の要所であることは、なにも首都高ができてからではありません。姿かたちや名前こそ多少異なれど、そもそも日本橋川そのものが江戸の街に張り巡らされた水上交通網の一部だったからです。そしてこれにかかる一部の橋は、名所として浮世絵にも描かれました。

 上空に首都高が走るいま、かつて水上交通で賑わったころの日本橋川の面影はあまり感じられないかもしれません。しかし一方で、川の上空を走るこの巨大な都市高速道路の姿も、もしかすると見られなくなるかもしれません。これらを水上から眺めると、どのような姿をしているのでしょうか。

日本橋川を船で遡上、頭上はほぼ高架

 左手に築地市場を眺めながら隅田川をさかのぼり、やがて永代橋を過ぎると、左手に日本橋川とその最下流に架かる豊海橋が見えてきます。ここから日本橋川へと入っていきます。

 隅田川に比べると川幅は一気に狭まりますが、それでも今回レンタルしたヤマハ発動機の6人乗りボート、AS-21には十分な広さです。豊海橋、ついで湊橋をくぐると、右手から首都高6号向島線の高架がせりだしてきて、やがてその桁は頭上に架かってきます。

 6号向島線は江戸橋JCT(東京都中央区)でC1都心環状線と分岐し、隅田川の東岸を走り、堀切JCT(東京都葛飾区)で中央環状線に接続します。1972(昭和47)年に向島までの一部区間が開通、1982(昭和57)年に向島から千住宇新橋までが開通しました。

 茅場橋、鎧橋をくぐったあたりから高架が分岐し、やがて6号向島線の起点、江戸橋JCTが迫ってきます。1963(昭和38)年、都道首都高速1号線(当時)の延伸および分岐部分として作られ供用が開始されました。そのすぐわきに、名前のもとになった江戸橋があります。ここから先、日本橋川の上に架かるのは、C1都心環状線になります。

 江戸橋のひとつ上流に架かるのが、川の名前にもある日本橋です。旧東京市の道路元標が置かれた場所で、大正時代の国道は「東京市より○○府県庁所在地○○に達する路線」とされていたため、つまりすべての国道の起点がこの道路元標でした。現在はそうした法的な規定はありませんが、橋の中央には「日本国道路元標」が埋め込まれており、また国道1号や4号、6号、20号などの起点でもあります。

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