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踊って楽しむ スィマムニ 登野城ゆんたく会 郷友 自らの根確かめる

6/25(日) 9:55配信

沖縄タイムス

 「登野城ゆんたく会」は、那覇市近郊に住む石垣市登野城出身者が隔月で集まり、スィマムニに親しみ今年で11年を迎えた。90歳を超える顧問の情感たっぷりのスピーチ、「鷲(ばすぃ)ぬ鳥(とぅるぃ)節」など八重山古典音楽を皆で歌い、スィマムニの味わいを楽しむ。早弾きになれば、興に乗り踊り出す人も。石垣文男会長(68)=那覇市=は「昔話を楽しくしようと発足した」。90代から50代まで歌って、踊って、スィマムニの時間を楽しむ。(編集委員・謝花直美)

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 11日、那覇市の居酒屋。戦後、八重山の陸上大会で記録を作った顧問、石垣永重さん(88)=那覇市=が指名を受け立ち上がる。「けーらん ねーら。2カ月ぶりし、くよーまれーん、たぼーられす かんじ、げんきにし くよまーれー しかいと さにしゃー」(ごきげんよう。2カ月ぶりに再会できて、皆がこんなに元気で本当にうれしいです)。堂々たる体格で、太くよく通る声であいさつすると、拍手喝采が起きた。

 八重山で会の幕開けを飾る「鷲ぬ鳥節」、ファムレ歌(子守歌)「あがろーざ節」。三線や琴の地謡に合わせ、声を合わせ、皆で歌う。スィマムニを話すために、口をならす。

 「父の日で(参加者が)少ないんだ」と石垣会長。2006年に立ち上げ、会員登録は70人だ。この日の参加は30人だが、あちこちで大きな笑いが起こり、スィマムニの会話の熱気に包まれている。

 スィマムニへの熱い思いはどこから生まれるのだろう。60代の石垣会長の子ども時代、すでに「方言札」は使われていなかった。「琉球処分後、開化党の勢力が強く、標準語の取得が早かったため」と説明する。同世代の人々は「共通語で話すと、本土の人といわれる」とうなずく。スィマムニで、自らの根を確かめるこの場は、だからこそ大切だ。談笑の合間に、歌ったり、先達たちのスィマムニの話に耳を傾けたりする。

 達筆な文字で人生の格言を色紙にしたため毎月プレゼントした、顧問玻座真善元さん(92)=那覇市。八重山農学校を卒業するまで登野城で過ごした。「ピキダァー(凧)を揚げたり、陣取り遊び『アッカンタンテー』をして遊んだね」と懐かしむ。

 石垣市内の登野城、大川、石垣、新川、4集落は言葉の異なりは大きくない。新川出身の内原京子さん(58)は「郷里の集まりには季節ごとの行事はあるが、言葉を学ぶ集いはない」。人々の温かさにもひかれ、参加して2年になる。

 ウシュマイとンミーの掛け合いで踊り出した同会副会長の与那覇ナリさん(82)=浦添市。若い時に那覇へ出た。以来話すことがなかったスィマムニ。会に参加し始めて、日常生活でポロッと出てくることが、うれしい。「ゆんたく会やどーすまんがい むどぅる気持ち でーしぬ さにしゃー」(ゆんたく会は、生まれ島に戻る気持ち とてもうれしいです)。

最終更新:6/25(日) 9:55
沖縄タイムス