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太宰治の「桜桃忌」、実は命日じゃない? 現地を訪れ、当時の新聞記事も調べてみました

6/27(火) 7:00配信

withnews

 6月19日は昭和の作家、太宰治をしのぶ日「桜桃忌」でした。太宰は1948年、東京都の玉川上水に身を投げて亡くなりました。いま訪れると水の流れも穏やかなこの場所を、どうして選んだのでしょう。また、19日が命日と思われがちですが、実際には何日に亡くなったのか分かっていません。当時の新聞記事も参考に、背景に迫ってみました。(朝日新聞校閲センター・有山佑美子/ことばマガジン)

【画像】太宰の投身を報じる1948年6月16日付の朝日新聞朝刊や、現在の玉川上水

現在の玉川上水は

 晩年の延べ7年強を東京都三鷹市で過ごした太宰。自殺を図った玉川上水は、太宰が暮らしていた地の近くを流れています。

 多摩川の水を羽村取水堰(せき)で取り込み、都心部に供給していた玉川上水。

 現在はさらさらと流れるせせらぎですが、これは東京・新宿にあった浄水場の廃止(65年)で上水路の役割を終えたから。それ以前は水量の多い急流でした。

 特に三鷹市付近は蛇行が激しく、水流で岸がところどころえぐられ、穴があちこちにできていました。転落するとなかなか見つからず、自殺場所に選ぶ人が後を絶ちませんでした。

 この上水に身を投げた人は、48年の上半期だけで太宰を含めて16人にも上ったそうです。太宰の捜索中にも、5カ月前に身を投げた女性の遺体が発見されています。前の年は1年で33人でした。

 「この土地の人は、この川を、人喰(く)い川と呼んで恐怖している」「川幅はこんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である」

 太宰の短編「乞食(こじき)学生」(40年)には、玉川上水の流れの激しさがこのように描写されています。

 太宰の家出が判明してから6日後の19日朝、上流で取水制限をして捜索しているさなか、一緒に入水した山崎富栄さんとともに遺体で見つかります。

 身を投げたとされる場所から1キロほど下流の水底でした。翌20日の新聞記事によると、太宰は家出した日と同じワイシャツとズボンという服装、山崎さんは黒のツーピース姿でした。2人は腰ひもでかたく結び合った状態だったそうです。

 くしくも遺体発見の19日は、太宰の39歳の誕生日でもありました。

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最終更新:6/27(火) 7:00
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