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ロッテ辛格浩総括会長、70年ぶりに完全引退…財閥1世にピリオド

6/26(月) 11:58配信

ハンギョレ新聞

日本ロッテホールディングス取締役から退く  1942年、日本に渡りガム会社創業 製菓企業の立地固め財閥に成長  1967年、韓国に帰りロッテ製菓設立 朴正煕特恵受け、5大財閥グループに安着 2015年、経営権争いで会長から解任

 ロッテグループの創業主である辛格浩(シン・ギョクホ、重光武雄)総括会長(95)が創業70年ぶりに経営から完全に退いた。財閥創業者の中で唯一、現役プレーヤーだった人物の退陣だ。

 韓・日ロッテグループの持ち株会社格である日本ロッテホールディングスは24日に東京新宿にある本社で株主総会を開き、任期が満了した辛総括会長を新取締役陣に選任しなかったと25日明らかにした。辛総括会長が第2次世界大戦終戦直後の1948年、東京でロッテホールディングスの前身である(株)ロッテを起業してから約70年ぶりだ。「辛格浩時代」が幕を下したことを象徴する。これに先立つ3月に出版された「ロッテ製菓50年史」には設立者であることにもかかわらず写真や記念の辞がまったくないため、彼の時代が終わりを告げていることがわかる。辛東彬(シン・ドンビン、重光昭夫)会長が記念の辞と写真などで父親の役割を代わりに果たした。

 辛総括会長の退陣は韓国の財閥会社の一つのページが終わることを意味する。日本植民地支配期、韓国戦争、軍部独裁時代を経て高度成長した財閥1世代は、もはや歴史の表舞台から消えることになった。

 辛総括会長の成功を語る際に、「ガム一つで立てたロッテ王国」という表現をよく使う。ガムはロッテの始まりだ。ロッテグループによると、執務室のあるソウル小公洞(ソゴンドン)のロッテホテル34階の机の上には、最初の精神を忘れないようにしようという意味で常にロッテのガム3~4個が置かれていた。辛総括会長は1921年11月3日(戸籍上1922年10月4日)、蔚山(ウルサン)で5人5女の長男として生まれた。新しいことを勉強したかった彼は、1942年に83円(当時地方公務員の2カ月分の給料)を持って日本に渡った。牛乳・新聞配達をしながら信用と誠実性を認められ、日本人から投資を受けて1948年にガム会社である(株)ロッテを創業する。法人名は文学を好んだ彼がドイツの文豪ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の女主人公「シャルロッテ」から取った名前だ。

 以降、チョコレート(1963年)・キャンディ(1969年)、アイスクリーム(1972年)・ビスケット(1976年)などを相次いで発売し、日本屈指の総合製菓企業としての地位を固めた。1980年代半ばにすでにロッテは日本でロッテ商事、ロッテ不動産、ロッテ電子工業、プロ野球団、ロッテリアなどを持った財閥企業に成長した。韓国進出は韓日国交正常化後の1967年4月に資本金3千万ウォン(約295万円)でロッテ製菓を設立したことから始まった。ロッテ製菓は、当時国内で初めてメキシコの天然チクルを使用した高品質ガムを発売して「大ヒット」となった。

 韓国で財閥に成功するまで、朴正煕(パク・チョンヒ)政権の特別恩恵も一役買ったという評価も出ている。ソウル市立大学のソン・ジョンモク名誉教授が発行した「ソウル都市計画の話」には、恩恵の中で誕生したロッテの秘話が詳細に書かれている。ソン教授によると、1970年11月13日にロッテ製菓のガムから鉄の粉が検出され、製造停止命令が下された日、朴正煕元大統領は辛格浩会長を呼び、ロッテのガム騒ぎを善処する代わりにホテルを建設するよう指示した。その後、ホテル建設は速やかに行われたが、敷地の確保、税金恩恵などさまざまな支援が後ろ盾となった。

 ロッテは1973年に地下3階、地上38階、1千室余りの客室規模の小公洞ロッテホテルを披露して観光業へ、1979年には小公洞ロッテデパートをオープンして流通業へ進出した。「食品・観光・流通・建設・化学」などにわたり陣営を整えたロッテグループは、1980年代の高度成長期を迎えており、相次ぐ買収・合併を通じて今日、国内財界序列5位の企業に成長した。

 しかし、「辛格浩時代」は2015年7月に浮き彫りになった長男・辛東主(シン・ドンジュ、重光宏之)元ロッテホールディングス副会長と次男・辛東彬ロッテグループ会長間の経営権紛争に傾き始めた。この過程で、辛総括会長はホールディングス代表取締役会長職から電撃解任される恥辱を受けた。不透明で前近代的な経営方式も俎上に載せられた。検察の捜査(背任・横領など)と経営権紛争が本格化する前までロッテの支配構造がどうなっているのか、経営はどこで決定されるか、外部には知らされなかった。内部の職員たちも「その時ロッテの支配構造をまともに知ることになった」というほどだった。

 95歳の辛総括会長の健康は良くない。今月初め、最高裁判所で辛会長に限定後見人を指定する際、正常な経営活動が事実上不可能になった。限定後見人は法的意思決定が難しい場合、当該職務を代わりにする法定代理人を指定する制度だ。

 「父の時代」は去り、今回の株主総会の決定で息子の辛東彬会長の体制がさらに強固化するものとみられる。

キム・ソヨン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:6/26(月) 11:58
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