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日本人が「通勤地獄」から抜け出せない、歴史的な背景

6/27(火) 8:19配信

ITmedia ビジネスオンライン

 「満員電車」が辛い季節がやってきた。

 ジメッとした車内。汗ダラダラのオジさんたちと密着しながら人の波に押しつぶされそうになるのを不自然な姿勢で必死に耐えるだけでもかなりの「苦行」だが、そこに加えて、ジメジメしているので誰もが殺気だっているのもかなり辛い。

【テキトーな日本人が、マジメになった日】

 いたるところで聞こえるチッという舌打ちと深いため息。足を踏まれた、背中を押されたとケンカを始める者もいれば、降車がてらメンチを切るオジさんもいる。また、最近多く報じられる「痴漢トラブル」も、世の男性たちに大きな負担を課している。女性客と密着する場合、なるべく手は見えるところへ出すなどの「触ってませんアピール」を周囲にしなくてはいけないからだ。

 そんな世のサラリーマンたちを憂鬱(ゆううつ)にさせる「通勤地獄」を解消しようというプロジェクトがこの夏行なわれることをご存じだろうか。

 「満員電車ゼロ」を公約に掲げる小池百合子東京都知事が、企業や個人に参加を呼びかけている「時差Biz(ビズ)」である。通勤ラッシュ回避のために通勤時間をズラしたり、テレワークを活用したりという「働き方改革」のひとつで、鉄道会社やさまざまな民間企業が連携し7月11日から25日の間に行なわれるという。

 小池さんといえば、「クールビズを世の中に広めたのは私です」でおなじみだが、あの国民啓発運動を成功に導いた実績から、「時差ビズ」もいけると踏んだということなのだろう。

 確かに、「時差通勤」がクールビズくらい当たり前になってくれれば、「地獄」のような通勤ラッシュも多少はマシになる。小池知事にはぜひともテレビなどに出演してガンガン啓発していただきたいと願わずにはいられない。

 ただ、その一方で、「働き方改革しよう!」という呼びかけだけで、時差通勤を広めていくのにはやや心もとない気もしている。

 実は言い方はいろいろあるが、「時差通勤で働き方改革を!」というのは、終戦直後から唱えられつつも、この70年間ほとんどうまくいった試しがないスローガンだからだ。

●昔の「通勤ラッシュ」はひどかった

 「痛勤」なんてやゆされて、世界的に見てもひどいと言われる日本の「通勤ラッシュ」だが、実は昔はもっとひどかった。

 戦後間もない頃には、母親と一緒に乗り込んだ赤ちゃんが圧死した。急ブレーキで車内が将棋倒しになって内臓破裂で亡くなった人もいた。比喩ではなく本当の意味で「通勤地獄」だった。

 どれくらい地獄だったのかというのは、終戦翌年の夏を控えて、都交通局や国鉄が「交通地獄」を回避するため、「二部制の時差通勤 週一度は自宅執務」(朝日新聞 1946年6月7日)と呼びかけていることからもうかがえよう。もちろん、このアイデアが社会に浸透することはなかった。

 その後、1961年には「時差通勤通学対策」が東京で導入。1964年になると、佐藤栄作首相が、新宿駅で満員電車に入りきれない乗客を押し込むバイト職員「シリ押し」(現在のプッシャーマン)を視察して絶句。このように憤ったという。

 「だからワシがいつも言っているように社会総合計画がないんだよ」(朝日新聞 1964年11月26日)

 こうして「通勤地獄」は国を挙げて解決すべき「社会課題」となり、翌65年には国鉄労働科学研究所が「ラッシュと疲労度」という調査を実施。満員電車に乗ると体は動かないのに、脈拍が急上昇するなんてショッキングな結果とともに、とにかく長生きをしたければ時差出勤をせよ、と触れ回ったのである。

 しかし、その効果はほとんどなかった。というよりも、事態がさらに悪化していった。

 60年代後半から70年代にかけて、国鉄をはじめ私鉄でもストライキが多発するのだが、交通機関が動かないなかでも、「男は黙って定時出勤」(朝日新聞 1971年5月18日)なんて感じで、あの手この手で始業時間までに席に着いているのが、「サラリーマンの鏡」みたいな風潮が生まれてしまったのである。

 そのなかでも特に高い出勤率を誇ったのが、いわゆる大企業。そしてそこの幹部社員たちである。当時の『朝日新聞』ではトヨタ、ソニーなど大企業の幹部社員を一覧にした「それでも行く管理職」というコーナーで、「出社方法」や「欠勤者の扱い」を紹介している。

 このように「鉄道ストにも屈しないで定時出勤をするサラリーマン」が注目を集め、その愚直ともいうべき滅私奉公の姿が大きく報じられたことが、大地震がきても台風がきても、会社を目指す日本のサラリーマン像のロールモデルになったというのは容易に想像できよう。

●アバウトな日本人がガラッと変わった

 その後、80年代、90年代になっても「時差通勤」はちょこちょこと唱えられてきたが、うまくいったためしがない。例えば、1991年には、総務庁(当時)が「時差通勤通学推進計画」という5カ年計画をぶちまけて、『ラッシュ時の最混雑率を「週刊誌を読むことができる」二〇〇%に引き下げることを目標』(日本経済新聞 1991年3月26日)としたが、今の状況を見ても分かるように「夢物語」で終わっている。

 このように日本人が70年かけてやろうやろうと思ってもなかなか実現できなかったのが「時差通勤」なのだ。いくらクールビズを成功に導いた小池さんであっても、そう簡単にこの「壁」を打ち破ることができるのか、というのが正直な感想なのだ。

 もちろん、かつてに比べたら「時差通勤」も少しずつ社会に普及している。そのような意味では、「時差ビズ」がまったく意味がないなどというつもりは毛頭ないが、「働き方改革」を呼びかけるやり方では、これまでとほぼ同じである。ゆえに、これまでとそれほど変わらない結果になる可能性が高いと申し上げているのだ。

 そのような話を聞くと、不思議に思うのはなぜここまで日本社会に「時差通勤」というものが定着をしないかという問題ではないだろうか。

 よく指摘されるのは、日本は都市部に機能が集中していることに加えて、「横並び」の意識が特に強いことから、同僚や取引先のことを考えて有給休暇を消化できないように結局、「定時出勤」をしてしまうというものだ。

 要するに、「マジメ」だというのだ。

 そうそう、なんせ日本人は世界一勤勉だからな、という愛国心溢れる方たちから賛同する声が聞こえてきそうだが、個人的にはそれはちょっと違うのではないかと思っている。

 近代史の専門家など一部の方たちがよく指摘しているのでご存じの方も多いかもしれないが、明治までの日本人は勤勉とはかけ離れていた。もちろん、マジメな日本人もたくさんいたが、当時、日本にやってきた外国人たちが、酒飲みでだらしない怠け者の日本人の姿をたくさん記録している。

 そういうアバウトな国民がガラッと変わったのが、明治以降の「富国強兵」という国策である。西洋列強に追いつくには、愚痴をこぼさずシャキシャキ働く従順な国民が必要だった。そこで、「勤勉」こそが美しく、日本人のあるべき姿であるという国民教育が施されたのである。

 とはいえ、もともとはアバウトな国民だったので、明治・大正になってもわりといい加減な人も多かった。とにかく雨が降ろうと槍が降ろうと、会社に行きますみたいな感じではなく、わりとよく約束も破った。

●若者たちに「軍人精神」が叩き込まれていく

 「いい加減なことを言うな、この反日ライターめ!」と怒りに震える方も多いかもしれないが、戦前、日本民族がよその民族に対していかに優れているのかということを熱心に研究し、後に「田中ビネ―知能検査」を発案し、心理学者として初めて紫綬褒章を受賞された田中寛一博士は1942年に出した『日本民族の力』という本のなかでこのように述べている。

 『最後に、日本人のやや劣っている点は、約束は守り、義務を果たすことに忠実ではないことでもあります。この性質においては、多くの他の民族よりも優れていますが、ただ支那人に比べると、やや劣っている品等されているのであります』(日本民族の力 P101)

 日本人は大昔から勤勉だったと信じて疑わない人には申し訳ないが、この時代ではまだ、「お前、明日はちゃんと来いよ」と上司から念を押されても遅刻をしたり、バックれてしまったりという日本人がまだたくさんいたのだ。

 ただ、こういう気質がガラリと変わっていく。1938年に労働組合が国の指導下に置かれるなど労使一体で「戦時体制」に統合されたことで、軍需工場で勤める労働者の若者たちに「軍人精神」が叩き込まれていくのだ。

 例えば、『読売新聞』は産業報国連盟と共催で、産業青年隊幹部を2日にわたって軍に体験入営させるというイベントを開催。クールビズよろしくこのような国民啓発運動を展開している。

 「軍人精神を職場に活かせ」(読売新聞 1943年8月7日)

 この労働者のマネジメントに、日本軍式の組織運営術を導入するという「働き方改革」は効果てきめんだった。生産性がぐーんと上がって、これまでは泣き言を言って急に姿をくらますような若者が激減して、「出勤率も向上」(同紙)したという。

 そのあたりの体験談は、今も自動車用照明で名をはせている小糸製作所で勤務していた当時27歳の若者がこんな風に言っている。

 『ここ一ヶ月でも私達の出勤率が向上し遅刻の常習者も改まった、軍隊のあの緊張を一泊二日でも見た者にとって、賃金本位に自分の利益を計算して勤めることは、日本人の本心としてはできない』(同紙)

 彼のような若者がちょうど「管理職」になった20年後、日本のサラリーマンは鉄道ストさなかでも定時にしっかりと会社に到着するなどの「勤勉さ」を発揮するようになる。

●70年たった今、「ブラック企業」に

 管理職になればなるほど高い出勤率を誇るという事実からも、この戦中世代のサラリーマンたちが学んだ軍人精神が、その後の日本のサラリーマン像に大きな影響を与えているのは明らかだ。

 それは同じ紙面で25歳の「産業戦士」が感動して語っている言葉を見てもよく分かる。

 『軍隊には個人主義がない、わかっていたつもりでもこれには感動した。美しい絶対服従も戦勝の基と思う。上長に深い教養と理解があり、精強な部下がこれに絶対服従する組織を私達の職場に建設したい』(同紙)

 彼が理想だと感じた「精強な部下がこれに絶対服従する組織」は、70年たった今、「ブラック企業」と名を変えてしっかりと後世の我々に受け継がれている。「美しい絶対服従」こそが勝利に結びつくという思想も同様で、今も日本の職場に溢れる「パワハラ文化」のなかに見つけることができる。

 このように日本企業が蝕まれている「病」のルーツが軍人精神にあることを踏まえると、なぜ我々が「時差通勤」という習慣に強い抵抗があることの原因が見えてくる。

 それは一言で言ってしまうと、我々が70年前に刷り込まれた「産業戦士」の呪縛からいまだ解き放たれていない、ということだ。

 軍隊のように組織に「絶対服従」することこそが企業人なので、個人の裁量で出勤などできるわけがない。「働き方」は自分で決めるのではなく、組織や「上」が決めるのだ。本気で「時差通勤」を普及させようと思うのなら、まずはこの「常識」を破壊すべきである。

 「時差ビズ」普及のため、これから小池さんのメディア露出が増えてくる。そこで提案だが、禁煙CMのように、こう呼びかけてはどうだろう。

 「スマホもパソコンも普及して、ネットを介してどこでも打ち合わせや商談ができるのに、毎朝決まった時間に会社に行く。そんなあなたは、もしかしたらかなり重い病にかかっているかもしれません」

 定時に会社に到着することが「働く」ということではない。この常識が広まらないことには、どんな改革を訴えたところで、「通勤地獄」は決してなくならないのではないか。

(窪田順生)