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私は娘を殴った、右手が腫れるまで…「本当に痛いのは、あたし」【虐待親の告白・1】

6/27(火) 9:48配信

弁護士ドットコム

マンションの窓の外を、カラスがけたたましく飛び回る――。その鳴き声につられて、生後2か月の長女、優花(仮名)が「ホギャア、ホギャア」と泣き出す。

涼子は、その泣き声を聞くと、またかと思って、頭がおかしくなりそうになった。抱いても、あやしても、何をやっても泣き止まない。だから、思い切り娘の太ももをつねった。その瞬間、娘はさらに、けたたましい声を上げて泣き始めた……。

「虐待を始めたのは、娘がうまれて間もない頃だったと思う。泣き声がうるさくて、イライラするのよね、あの頃って。こっちも朝晩関係なく母乳あげなきゃいけなくて、全く眠れていない。どうしたらいいのかわからなくて、ギューって力一杯つねっちゃった。当時は罪悪感なんてなかった。だって一番かわいそうなのは、あたしなんだもん、悲劇のヒロインはあたしだって思ってたから」

青井涼子(仮名・50歳)は、娘を虐待した最初の日のことをこう振り返る。涼子は、娘が18歳になるまで、肉体的、精神的な虐待を繰り返してきた。

2015年に、全国の児童相談所が児童虐待相談として対応した通報件数は、初の10万件を突破し、過去最多となっている。今、親子に何が起こっているのか。なかなか語られない虐待した親の側から、児童虐待の現実に迫る。(ノンフィクションライター・菅野久美子)

●つのる夫への不満、はけ口は娘に・・・

「私がやってたのは虐待だと今はハッキリとわかります。子どもを殺してしまう母親の気持ち。あれって、自分を殺すことと一緒なんですよ」

都内のファミレスなどで何度か取材を重ねるうち、涼子は少しずつではあるが重い口を開いて自らの虐待体験を話し始めた。涼子は、やせ形のモデル体型で、年齢よりもかなり若く見える。15歳の時から摂食障害を患っているという。

高校卒業後、地元の宮城から上京し、東京の看護学校へ。バイト先のスナックで当時お客だった4歳年上の建築関係の夫と、卒業と同時に、いわゆる「できちゃった婚」をしたのは21歳の時。しかし、夫はまもなく仕事と女遊びに明け暮れ、子育てには全く見向きもしなくなった。そのはけ口は必然的に娘に向かうようになった。

●子どもは、いわば〝自分の商品〟

娘への虐待がひどくなったのは、娘が幼稚園に入園してからだった。

周りのママ友の子は、数字を1から10まで数えられるのに、自分の娘だけ数えることができない。何度数えさせても、必ず途中で詰まってしまう。娘の発達の遅れに焦った涼子は、詰まる度に娘を平手打ちやグーで殴り、「100まで数えるまで出てくるな!」と言ってよく風呂場に閉じ込めた。

「いーち、にー、さんー、よーんで、止まっちゃう。私は勉強ができたほうだったから、『なんでこの子はバカなんだろう』って思った。ママ友の子どもが当たり前にできることができない娘にムカついて、グーで殴ったり、床に張り倒したりは当たり前。

今でもよく覚えているのが、娘をグーで殴りすぎて、私の右手の骨が腫れ上がって紫色になったこと。娘が一番痛かったはずなのに、当時は、『お前の頭を殴ると、あたしの手が痛いんだよ』ってよく怒鳴ってた。

母親にしてみると子どもは、いわば〝自分の商品〟なんですよ。『すごいよねぇ』って周囲に言われたい。でも自分の理想の通りに育てたいのに、目の前の娘は全然違う。この子、ひょっとしたらおかしいんじゃないっていうプレッシャーが半端なかった」

●「若いお母さんだから」と陰口、夫の無関心

何事も完璧にこなす母。そして、賢くて、かわいい娘に優しい夫。それが、涼子がずっと思い描いていた理想の家庭像だった。しかし、現実の涼子の家庭は違っていた。それが許せなかった。

若くして生んだ子――。何かにつけて、「若いお母さんだから◯◯なのよね~」と周囲のママ友たちから陰口されているのを涼子は薄々知っていた。頼りになるはずの夫も、涼子はおろか、娘にも無関心な態度だった。

娘が幼稚園の年少の時だった。家族3人で動物園に行くことになった。涼子は早起きして弁当を作り、娘の洋服も新調した。しかし、砂場遊びをしていた娘が夫に「パパー」と駆け寄ると、夫は突然「シッシッ。汚いから近寄るな」と怒り出した。そして、まったく動物に興味を示さず、「こんなしょーもないところ二度と来るか!」と言って、以後、家族サービスを拒むようになった。

そして、休日は朝からテレビの前のソファーを陣取って、〝おれに話しかけるなオーラ〟を出し続けた。

理想の家族とのかい離――。涼子の虐待は止まらなかった。

娘が3歳か4歳の時、涼子は洗面器に書いてあるローマ字が読めない娘に猛烈に腹が立った。

「Have a nice day! みたいな簡単なローマ字が書いてあるんだけどさ、それが読めなかった。今だとそのくらいの年頃で読めないのは当たり前だとわかるんだけど、当時はそれがすごい許せなかったよね。娘の頭を掴んで、水の張ったその洗面器に、何度も何度もバーッと沈めたりした。むかついてさ、『なんでローマ字よめねぇんだよ、おめぇ!』って。小さい頃は、そんなどうでもいいことで何十回も娘の頭を洗面台の水に沈めてましたね」

●「本当にかわいそうなのは、夫に構われないあたし」

幼稚園の年長になると、娘は、涼子の暴力から必死に自分の体を守ろうとするようになった。

「娘は、殴られると分かると頭を手でかばおうとする。その手がすごい邪魔で『手ぇ、どけろ!』って怒鳴って、手をいったんどかせてから殴ってた。手でかばわれると、上手く殴れない。『あたしの手が痛いだろ』って。そうやって言うと、彼女は手をどけるの。

だって私を逆上させると、もっと痛い目に遭うから。それを本能的にわかっていたからだと思う。今考えると何やっていたんだろうって」

でも、いつだって、本当に痛いのはあたし。かわいそうなのはあたし。夫に構われないあたし――。そう切実に思っていたのだという。

涼子は自らが愛に飢えていたと語る。涼子は「これは初めて話すことだけど…」と前置きしつつ、自分も母親から育児放棄(ネグレクト)されていたことを告白した。しかも、高校生になり母親と大喧嘩した時、「あんたが小さい頃、うるさいからよくつねったわ」と言われ、それがずっとショックだったことなどを話してくれた。

娘が小学校に入ると、涼子はピアノのレッスンにこだわるようになった。毎朝6時からピアノの前に座らせ、特訓を続けた。

「間違えると、あっ、間違えた、下手くそってイラっとくる。『なんで弾けないのよ、あなたって』と鉛筆をガっと手に突き刺した。未だに娘の手には青点が付いてるの。でも、泣かなかった、泣くとまた私に殴られるから」

涼子はピアノに失敗する度に、鋭く尖らせた鉛筆の芯を娘の手に突き刺した。最初は痛みを訴えていた娘だったが、「痛いっていうな!」と怒鳴りつけてからは、そのうち無言で虐待に耐えるようになった。

涼子はある日、自分が虐待していることを夫に相談した。自分で自分がおかしいのではないか、そう思うようになったからだ。

「『私、今日、優花を殴っちゃった』って夫に相談したんです。今思えば、あれはあたしなりの虐待のSOSだったんだと思う。そしたら、夫は『あっそ。でもそれじゃあ、優花がかわいそうだな』って無表情に言ったの。だから、『かわいそうなのは、あたしなの。辛いのは、あたしなの』って言った。そしたら、そんな私の言葉を無視して、夫はテレビを見始めた。夫に全く聞いてもらえなかったのは本当にショックだった」

涼子は、本当は夫に自分のことを見て欲しかった。ちゃんと構って欲しかった。

「愛が得られないがゆえの八つ当たり」――。なんら正当化はできないが、涼子がすさまじい虐待を続けた背景には、実の親からも、夫からも愛を得られなかったことへの怒りがあったのだ。

後編では、涼子が理想の家族を〝卒業〟することを決意し、新しい生活を始めるに至るまでを伝えたい。

【著者プロフィール】

菅野久美子(かんの・くみこ)

ノンフィクション・ライター。最新刊は、『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』(双葉社)。著書に『大島てるが案内人 事故物件めぐりをしてきました』(彩図社)などがある。孤独死や特殊清掃の現場にスポットを当てた記事を『日刊SPA!』や『週刊実話ザ・タブー』などで執筆している。

弁護士ドットコムニュース編集部