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【のびやかに・浜木綿子】(17)離婚したい理由は最後まで聞かされず

6/28(水) 15:04配信

スポーツ報知

 夫だった歌舞伎俳優の市川猿翁さん(当時猿之助)が家を出て、1968年に離婚するまでに約1年間。「待ち続ける」というのはつらいものです。善と悪、両極端のことが頭から離れないのですから。

 帰ってきてくれると信じながらも、精神的に参り「死んでしまいたい」と思ったことも。でも照之のあどけない顔に救われ、癒やされました。この子に兄弟を残すことは、もうかなわないのか。複雑な思いを抱えながら月日は過ぎていきます。

 親子とは不思議です。父親の記憶はほとんどないのに、幼い照之に、猿翁さんと同じクセを見て驚きます。鼻の下を人さし指でこするしぐさ、食事中にお茶を飲むときの間など。歌舞伎の世界で親子の芝居が似る、と言われる理由が、このとき分かりました。

 別居は、女優の道を切り開いてくださった恩人、菊田一夫先生にも伝わり、心配を掛けました。舞台共演で私たち元夫婦が出会うきっかけをつくり、仲人もしてくださった先生ですが、結婚には難色を示されていました。私が苦労すると思われたのでしょう。

 マスコミも騒ぎ始めます。そのころ、菊田先生の勧めで「風と共に去りぬ」(1966、67年。帝国劇場)に出ました。娼館の女主人ベル・ワトリング役。そう、レット・バトラーを待ち続ける役でした。

 役と私情の混同はいけません。でも、レットと別れる場面で後ろを向いたとたん、毎回涙が止まらないのです。この演技で「背中で泣く女優」とほめられたのですから、皮肉です。家の中でも外でも「待つ女」でした。

 公演中、私がいない間に猿翁さんの関係者が車で自宅に来て、彼の荷物を運び出しました。帰宅して家の中を見てぼう然。玄関の扉をあけると、道路に家の玄関マットが落ちているではありませんか。つくづく自分は変わっている、と思うのですが、捨てればいい物を、トボトボ歩いて拾いに行き、元の場所に戻しました。

 別居から1年になるころ。裏口で飼っていた小さなシバ犬が激しくほえています。あの人だ、と思いました。本当に猿翁さんでした。でもやはり「別れてほしい」の一点張り。最後の最後まで別れたい理由を、私が聞くことはありませんでした。

 電話での夫婦げんかはありましたが、話し合いはなく。でも確かなのは、すでに彼の中に、私はいない、という現実でした。

 自分の気持ちもその時、吹っ切れたように思います。私でなく母には、最後に出ていく際「照之を、よろしくお願いします」とあったそうです。「この子の将来は、自分で決めさせよう」照之の顔を見て決意しました。

 同時に、これからは息子に少しでも尊敬される親になるために頑張らなければ、と思いました。そう考えたとき、やっぱり私には「役を演じること」しかない、と気づくのです。(構成 編集委員・内野 小百美)

最終更新:6/28(水) 17:26
スポーツ報知