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ロングラン上映中。映画『世界でいちばん美しい村』の魅力とは?

6/28(水) 7:00配信

ぴあ映画生活

去る3月25日に東京から公開が始まり、3カ月が経った今も全国をめぐりロングランとなっているドキュメンタリー映画『世界でいちばん美しい村』。長年、世界をめぐり写真家、ノンフィクション作家として活動してきた石川梵が映画初監督を務め、撮り上げた本作は、2015年に起きたネパール大地震の震源地で、甚大な被害が及んだラプラック村の人々を記録している。いわば東日本大震災以降、多く発表されている“震災関連映画”といっていい。ただ、そういった“震災関連映画”とは大きくタイプが異なる。それこそが魅力といっていいかもしれない。

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東日本大震災が起きてから、多くの震災映画が発表されている。おそらくこれからも震災の事実を風化させないために多くの作品が公開されていくことだろう。その中で震災関連の作品についていうと語り口がどうも偏りがちだ。状況が状況だけにそうなってしまうのは、仕方ないが被害の悲惨さや絶望としかいいようのない現実を伝えるものが圧倒的に多い。そのことを否定するつもりはない。そうした大手のメディアが伝えなかった厳しい現実や忘れてはならない震災の事実をきちんと提示するのもドキュメンタリー映画の大きな役割だ。ただ、一方でこうしたタイプの作品が多いがゆえ、“震災関連の映画”=“悲劇”“辛い内容”といったイメージがどこか受け手の側に根付いてしまってはいまいか? そのイメージが強いゆえに、少し身構える、少し観ることをためらう人もけっこういるような気がしてならない。

ただ、本作は、そういったネガティブさとは無縁といっていい。本作のカメラがとらえたのは、悲惨な状況下でも前を向く人々だ。

作品には、写真家として多くの人物を撮ってきた石川監督が見た瞬間、魅了されたという少年のアシュバドルや、その妹でつぶらな瞳が印象的なプナム、医師のいないラプラック村で村人の健康を一手に引き受ける看護師のヤムクマリなどが登場する。いずれも家が全壊したり、愛する人を失っていたりという今回の大地震での被災者だ。

でも、不思議なことに彼らの姿には悲壮感がない。むしろ、彼らの姿から立ち昇ってくるのは、困難に立ち向かおうとする人間の強さ、そして、多くのことを望むことなく慎ましい生活を送るこの村で生きる人々の素晴らしい人間性にほかならない。

あくまで作品からの考察に過ぎないが、震災からしばらく経っても、村の復興はさほど進展していない。通常なら不平や不満が噴出して、村人の間でへんな争いごとが起きても不思議ではない。でも、この村の人々は穏やか。困ったときはお互い様ではないが、それぞれが助け合い、互いを思いやる。自然と互いに手を差し伸べ、声をかけあい、励まし合う。このことは震災直後から、復興半ばになってもまったくかわらない。

ただ何となく見ていると、それらの映像はありふれた日常の断片にしか見えないかもしれない。でも、この作品全体を通したとき、石川監督が捉えたこれら村人の何気ない日常は大きな意味を持つ。互いに気をとめて、すれ違えば挨拶をかわす。ただこれだけのやりとりがいかにひとりの人間にとって生きる励みになるのか。孤独や悲しみから救ってくれるのかに我々は作品を前にしたとき、はたと気づくことになる。

一方で、石川監督はラプラック村が長く育んできた伝統や風習にも目を配る。仏教よりもはるか昔から伝わるとされる民間信仰、ボン教の習わしや、危険な崖に命綱なしで降り、ハチの巣を採る、ハニーハンティングの様子などが美しい映像で記録されている。

このことは人間と土地(暮らしの場)がいかに密接につながり大切で重要かを改めて物語る。それは真の意味での人間らしい生活の営み、豊かな暮らしについて我々に大きな問をなげかかえる。と同時に我々ひとりひとりに自分の今ある暮らしについて深く考える時間になるに違いない。そして最後、『世界でいちばん美しい村』というタイトルに込められた意味を、それぞれが考えることになる。

単に震災の悲劇を伝えるだけで終わらない、震災が起ころうと変わらない暮らしがある、変わらない人間たちの心があることを教えてくれる『世界でいちばん美しい村』。まだまだ全国をめぐるようなのでお近くの劇場にきた際は足を運んでみてはいかだだろう?

『世界でいちばん美しい村』
公開中

文:水上賢治

最終更新:6/28(水) 7:00
ぴあ映画生活