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幻の戦闘機「震電」を作った鉄工所のベンチャー精神

6/28(水) 11:11配信

ニュースイッチ

渡辺鉄工、一品一様のモノづくり継承

 第2次世界大戦の最中、今では「幻の戦闘機」と呼ばれる戦闘機が日本で作られた。米軍のB―29爆撃機の迎撃を期待されながらも実戦投入を前に終戦を迎えたことが幻と言われる理由だ。その「震電(しんでん)」を作った渡辺鉄工は福岡市内の住宅や学校も隣接する町中にある。

 創業は1886年(明19)で昨年130周年を迎えた。事業の柱の一つがリムラインと呼ばれる自動車用ホイールの生産設備で国内シェアは90%以上という。

 海外でも日系メーカーを中心に採用され、米国やアジア各国への輸出も行っている。また防衛省に納めている水上魚雷発射管に関しては国内唯一のメーカーという顔も持つ。

 受注はオーダーメードが基本。設計から製作、据え付けまで一貫して行い、顧客の要望に応える一品一様のモノづくりを強みとしている。

 同社は、福岡の老舗建材総合商社である渡辺藤吉本店の付属工場の独立によって始まった。2代目社長の渡辺福雄が1904年に陸軍に荷馬車を売り込んだことがきっかけで軍関係の取引が始まる。21年には海軍の指定工場となり、飛行機製造や魚雷発射管の製造を請け負った。

 ただ、戦時の資料は連合国軍総司令部(GHQ)が回収して会社にはほとんど残っていない。それでも同社は従業員が覚えている話を聞き取るなどして歴史を明らかにしてきた。

 現社長の渡辺剛は「創業時に水揚げポンプを作っていたことも福雄の自伝で知ったくらい」と、とじた部分がほどけそうな古びた本を慎重に扱いながら話す。それだけに渡辺は会社の歴史を知ることに敏感だ。偶然目にした大学の研究文献から社史に関わる可能性がある記述を見つけ出すこともある。

 「震電」には当時最高の性能が求められた。悪化をたどる戦況の一変を期待され、国の命運を賭けた開発とも言えた。その性能を実現するには、蓄積された技術を生かすだけでなく新たなことに挑戦するベンチャー精神が不可欠だった。

 実戦の有無にかかわらず、その開発と製作の経験、そしてベンチャー精神は今も引き継がれている。

 終戦後の渡辺鉄工は旋盤設備を生かし62年に鋼板処置装置のスリッターラインの製造に乗り出す。続いて67年にはリムラインの製造を始めた。ユーザーの業界がはっきり分かれた製品群は経営の多角化となり景気のあおりを受けづらい体質を築いた。

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最終更新:6/28(水) 11:11
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