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[ニュース分析]韓国社会の脱原発論争、試験台へ…「透明な情報公開がカギ」

6/28(水) 12:07配信

ハンギョレ新聞

新古里5・6号機公論化、なぜ? 福島事故以後に建設決定  安定性に疑問・住民の反発にも関わらず 全世界的な脱原発の流れに逆行  過去の失敗を反面教師にすべき 使用済み核燃料公論化委の内部分裂 社会的関心を引けず、中途半端な結論 正確な情報伝達・透明な運営が前提

 政府が27日に発表したいわゆる「新古里5・6号機公論化委員会」運営計画の発表は、本格的に全社会的な「脱原発論争」の信号弾を打ち上げたものとして評価できる。原子力発電所をめぐる論争を市民社会が直接参加して決定するという点で、民主主義の道しるべになりうるからだ。しかし、市民社会のからは、3カ月という制限された活動期間が持つ限界を認識し、政府と韓国水力原子力などの新古里5・6号機に対する透明な情報公開がベースになってこそ公論化を成功させることができるという指摘が出た。

 新古里5・6号機は2011年3月11日に日本の福島原子力発電所事故が起きた後、韓国で最初に建設可否が決められた原子力発電所だ。これに先立ち韓水原は2009年2月、新古里5・6号機の建設基本計画を確定したが、福島事故が起きた後の2011年10月に新古里5・6号機の住民説明会を開いた。当時住民は重大事故に対する備えについて疑問を提起した。

 当時、住民たちは新古里5・6号機の建設予定地が「原発密集地域」だという問題も提起した。新古里5・6号機が建設される蔚山(ウルサン)蔚州郡(ウルチュグン)西生面新岩里周辺には、半径3キロ以内に稼動が永久停止された古里1号機を含め、計8基(今年11月に稼動予定の新古里4号機を含む)の原発がある。環境運動連合は新古里5・6号機の耐震設計(規模6.9)が朝鮮半島で発生しうる地震の最大規模の7.5に及ばないと批判してもいる。グリーンピースでは安全性に対する適切な調査をせずに建設が決定されたとし、昨年9月に裁判所に建設取り消し訴訟を提起しており、現在進行中だ。当時、文在寅(ムン・ジェイン)大統領を含む一部の大統領選候補たちも「新古里5・6号機の建設中断」を公約に掲げた。

 文在寅政府の発足で、建設中止が具体化されるだろうとみえた新古里5・6号機は、キム・ジンピョ国政企画諮問委員会委員長が「地域経済に及ぼす影響などを考えた後に、工事を中止するかどうかを決定する」と明らかにし、再び論議に火がついた。当時、キム委員長は原子力学者や一部の地域住民たちの工事中断への反発を意識し、公約から一歩後退した立場を発表したのだ。しかし、環境団体などは韓国最初の原発である古里1号機の永久停止とともに、新古里5・6号機の建設も中止しなければならないと主張した。このため文大統領は19日、「公論化委員会の設置」を提案した。

 市民社会では公論化委員会の発足が「類例のない論争になるだろう」と見ている。日本の福島事故以後、新規原発の建設を中止したドイツ・台湾と違い、韓国では原発の建設が続いており、利害関係が複雑なためだ。

 そのために公論化の過程で、透明な情報公開と世論形成が重要だという指摘が続いている。この日、政府が発表した公論化委員会の運営案によると、「利害関係者やエネルギー分野の関係者でない人の中から、国民的信頼が高く徳望のある中立的な人物を中心に10人以内を選定し、不特定の国民を対象にアンケート調査兼世論調査を先に実施する」と明らかにした。メディアなどを通じて原発の問題を扱っている世論戦が熱くなる可能性があるということだ。原発関連情報の伝達も透明に行われなければならないと見られる。政府が公論化委員会のベンチマークの例として、ドイツの「核廃棄場の敷地選定のための市民疎通委員会」や、日本の「エネルギー環境の選択に対する公論調査」などを提示したが、先立って国内では高レベル核廃棄物処理などを議論する社会的合意機構である「使用済み核燃料公論化委員会」を運営したことがある。当時、情報公開とコミュニケーションの問題で運営委員の一部が脱退し、中途半端な結論を下したという評価を受けた。エネルギー正義行動のイ・ホンソク代表は「10人が3カ月という期間を定めて議論するということから、使用済み核燃料公論化委員会が経験した議論を繰り返す可能性がある。また、埋没費用など経済性議論を中心に議論が行われるなら、当初の委員会の運営趣旨に合わない可能性もある」と話した。

市民陪審員制度、背景と運営は?
1980年代にデンマークで「合意会議」が初めて導入
韓国でGMO・生命複製技術・電力政策市民陪審員制度の試み
政府主導の市民陪審員制の試みは今回が2回目

「新古里5・6号機公論化委員会」の柱は市民陪審員制度にある。政府が主導するのではなく、市民10人を選抜して、原発建設に対する合意を引き出すという点で「参加民主主義」の枠組みを持つ。

市民陪審員制度のルーツはデンマークで始まった。カトリック大学のイ・ヨンヒ教授(社会学)の研究資料によると、デンマークでは1980年代後半から社会的な決定に向けて「合意会議」という制度を運営してきた。合意会議は新聞などのマスメディアを通して志願した市民から15人程のパネルを選抜した後、彼らが資料と専門家の講義を通じて主題を学んだ後、政府の政策に対する意見を出す方式だ。米国では非営利団体であるジェファーソン・センターが1970年代初めに無作為に選ばれた市民が4~5日間、政府の政策など重要な問題について議論した後に決定する「市民陪審員会議」という制度を導入したことがある。

 国内で市民陪審員制度を運営したのは今回が初めてではない。かつて参与連帯市民科学センターが1998年の遺伝子組み替え食品(GMO)に対する政策提言のために「合意会議」を初めて開き、1999年には生命複製技術、2004年には電力政策全般に対する市民社会の意見を集める市民陪審員制度が運営されたことがある。

 政府が中心となって市民陪審員制度を運営したのは、2009年に初めて開かれた「使用済み核燃料公論化委員会」が最初だ。しかし、当時の委員会の運営がきちんと行われず、2013年10月に再び開かれた使用済み核燃料公論化委員会も、議論を重ねた末に2015年6月30日に運営を終了した。

キム・ソンファン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:6/28(水) 12:07
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