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被災者たちが語る、地震の恐怖「目の前から真っ黒な津波が…」

6/29(木) 11:00配信

AbemaTIMES

 毎年、震度5以上の地震が発生している地震大国日本。阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震。大震災が起こるとき女性ならではの苦労やトラブルがあった。女性にとって本当に必要な震災への備えとはいったい何なのか。

 SHELLYがMCを務める『Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース~』では、「女たちの大震災」をテーマに当事者が赤裸々に語った。

 宮城県石巻市に住んでいる山本美穂さんは、2011年に東日本大震災で津波に流されそうになりながらも、九死に一生を得た。地震が起こった当初、7カ月の娘を子育てしていたという山本さん。

 地震発生時、娘が乗っていた歩行器が激しく揺れたため、慌てて娘に覆いかぶさったという。「当時は防災無線も聞こえなかったので、地震イコール津波って言う考えがまったくなかったんです。食器棚が倒れたりしてガラスも散らばっていて歩ける場所がほんの少ししかなかったけど、とりあえず外に出て近所の人たちと逃げたほうがいいのかなって」と話し、車に乗って逃げようとしたが、車は渋滞。「仕方なく待っているとUターンしてくる車があり、気が付いたら目の前から真っ黒な津波が押し寄せてきていた」という。

 「急いで車から降りて子どもをかかえてダッシュで逃げました。足元にも津波がきたので、すぐ近くにあった家の屋根に子どもを抱きかかえて一人で飛び乗って。電柱に登っている人もいました」と振り返り、子どもを抱きかかえたまま、登った家の中で一晩を過ごしたと話した。翌日、波が引いていたため避難所に移動したが、そこにも食糧や飲み物はまったくなく、避難所に支援物資が届いたのは、移動してから4日後だった。

 一方で、熊本県の宇城市で食堂を営む管理栄養士の相藤春陽さんは、2016年熊本地震で被災。当日は相藤さんの誕生日祝いで、ケーキのろうそくの火を吹き消した数秒後に家が揺れ出したという。

 「足がすくむ感じでまったく動けなくなって。幸い、テレビや電気はついたので情報は入ってきて、そこで震源地が熊本だとわかったので身の回りのものを持ってすぐに家を出て車で逃げました」と、当時を振り返る。

 慌てて家を出た相藤さんだが、避難所や市役所の駐車場はすでにいっぱいで入れなかったため、車中泊をした。翌日、疲れて家に戻ったが余震がひどく、寝ているときもベッドを握っていないとベッドごと動いてしまうような地震だったという。その後、約3週間にわたって車中泊をした。

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最終更新:6/29(木) 11:00
AbemaTIMES