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豊臣秀頼の礼状を発見 新湊博物館

6/29(木) 5:00配信

北日本新聞

■前田利常宛て

 豊臣秀吉の三男・秀頼が加賀藩3代藩主、前田利常に宛てた礼状が、射水市新湊博物館(同市鏡宮)の調査で見つかった。徳川家康が江戸幕府を開いてから、豊臣家を滅亡に追い込んだ大坂の陣(1614~15年)までの間に書かれたとみられる礼状で、同博物館は「豊臣、徳川両家に対する加賀藩のしたたかな両面外交を示す史料」としている。 

 利常は1605年に兄の利長から家督を譲られた。江戸幕府2代将軍、徳川秀忠の娘を妻とし、大坂の陣では徳川方として参戦している。

 礼状は、利常が「松平筑前守」を名乗った05~14年に記されたとみられる。利常から「初物のサケ」を贈ってもらったことへの感謝の言葉とともに秀頼の黒印が押されている。初物は口にすると寿命が延びるとされる縁起の良い品。利常は徳川家と縁戚関係を結ぶ一方、同家が敵視していた豊臣家に礼を尽くした品を贈ったことになる。

 この両面外交について、新湊博物館の松山充宏主任学芸員は「加賀藩は、両家との関係を両立させようと模索していた」とみる。当時は家康が江戸幕府を開いて間もなく、豊臣家の威光がまだ残っていた。松山学芸員は「覇権が豊臣、徳川のどちらに渡っても加賀藩が存続するようにと、したたかに対応していた」と分析する。

 秀頼の礼状は、射水市放生津町地区の材木商の子孫が、昨年5月に同市に寄贈した古文書の中から発見された。ほかにも豊臣秀吉の正室ねね(高台院)と徳川秀忠が、それぞれ加賀藩に宛てた江戸時代初期の礼状も見つかった。

 (新湊支局長・芦田周)

北日本新聞社

最終更新:6/29(木) 5:00
北日本新聞