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東急の“時差Biz特急” 多摩田園都市通過の本気度

6/30(金) 7:10配信

ITmedia ビジネスオンライン

 最近の東急電鉄の施策が興味深い。3月に東横線で東急初の有料座席指定列車「S-TRAIN」の運行が始まった。7月21日からJR横浜駅と伊豆急下田駅を結ぶ観光列車「THE ROYAL EXPRESS」の運行も開始する。この列車は東急電鉄の線路を走らない。横浜~伊東間はJR東日本の線路を走り、伊東~伊豆急下田間は伊豆急行の線路を走る。伊豆急行は東急グループで、東急は運行会社として、いわばプロデューサーの立場で参加する。東急は横浜駅に専用ラウンジを設置して、新しいサービスの正面玄関とする。

【「時差Bizライナー」の停車駅】

 6月27日、東急は次の奇策を発表した。田園都市線に特急「時差Bizライナー」を走らせる。早朝1本だけの臨時列車で、平日限定8日間だけの設定だ。しかし、成功すれば期間延長するかもしれないし、次のダイヤ改正で定期列車に格上げするかもしれない。それを奇策と呼びたい理由は、従来の東急電鉄のブランドからは一線を画したと感じるからだ。

●"東急の常識"から離れた通過駅

 特急「時差Bizライナー」は中央林間発押上行き。途中停車駅は、長津田・あざみ野・溝の口・渋谷・半蔵門線内各駅だ。この停車駅設定が東急らしくない。東急の沿線開発の重要拠点、青葉台・たまプラーザ・鷺沼・二子玉川を通過してしまう。特にたまプラーザ駅通過は衝撃的だ。この駅はプラーザと名の付く通り、東急グループが総力を挙げて開発した多摩田園都市の中央広場の位置付けだった。あざみ野駅はたまプラーザと江田の間に新設された駅で、開設当初は快速も止まらなかった。それがいまや特急停車駅。たまプラーザに対する格付けの下克上である。

 たまプラーザの駅名は、地名をとって元石川駅となる計画だったが、当時の東急電鉄、五島昇社長の発案によって変更された。彼は東急グループを築き上げた五島慶太氏の長男。いわば東急の皇太子の勅命だった。あまりに奇抜な名前のため、芸術家・岡本太郎の命名という迷信も生まれたほどだ。そのたまプラーザを、軽やかに通過する列車が誕生したとは感慨深い。

 東急電鉄と五島家の資本関係はもともと薄いとはいえ、たまプラーザ通過は「五島家との決別」といううがった見方もできよう。そうでなくとも、栄光の多摩田園都市の施策に転換期が来たといえそうだ。これは東急沿線に生まれ育ち、いまも実家が東急田園都市線沿線にある筆者の大げさな感想かもしれない。しかし、田園都市線沿線に住まう人々には、少なからず衝撃があると思う。

 冷静に神奈川県の鉄道ネットワークを俯瞰すれば、時差Bizライナーの停車駅は理にかなっている。中央林間駅は小田急電鉄江ノ島線の接続、長津田はJR横浜線、あざみ野は横浜市営地下鉄ブルーライン、溝の口は東急大井町線の始発駅だ。他の路線との乗換駅に絞り、沿線外から流入する通勤客を誘導するという意味合いが強い。溝の口停車は「乗客を大井町線に誘導し、渋谷の混雑を解消する」という近年の混雑対策に沿っている。大井町線は2017年度中に急行を6両から7両にするための改良工事を実施中だ。

●時差Bizライナーの追い越し駅はどこか

 時差Bizライナーの運行は8日間で平日限定とあって、ダイヤ改正までの大事には至らない。しかし過密な通勤路線にとって、列車を1本増やすことは、前後の列車にも影響がある。ダイヤを追ってみよう。時差Bizライナーは中央林間発午前6時4分で、渋谷着6時43分。この列車の前に3本の各駅停車がある。中央林間発5時51分、渋谷着6時52分。中央林間発5時59分、渋谷着6時55分。鷺沼発6時17分、渋谷着6時45分。

 これらは時差Bizライナーより先に走り、時差Bizライナーより後に渋谷に着く。つまり、途中で追い越さなくてはいけない。インターネット時刻表「えきから時刻表」のデータをもとにダイヤを描いてみた。

 駅の設備も併せて勘案すると、最初の追い越し予想駅は江田だ。中央林間発5時59分の各駅停車はここで追い付かれる。追い越されるためには停車時間を長く取る必要があるため、現在長津田駅で3分となっている停車を2分短縮し、各駅の時刻を2分繰り上げ、その2分を江田で使うことになりそうだ。

 次の追い越しは鷺沼、あるいは梶が谷だ。中央林間発5時51分の各駅停車は梶が谷発6時29分。時差Bizライナーは次の溝の口発が6時29分。どこかで追い越さなくてはいけない。この各駅停車は鷺沼で3分停車している。この間に大井町線の急行に追い越される。この停車時間を延長して、次の時差Bizライナーの通過待ちをする。

 あるいは大井町線急行を追って早めに発車して、梶が谷まで時差Bizライナーから逃げ切るか。はたまた梶が谷駅で発車時刻を繰り下げて通過待ちをするか。ただしこれをやると、半蔵門線の運行間隔を乱す。鷺沼で大井町線の急行発車時刻を繰り上げ、梶が谷まで逃げ切りそうな気がする。実際はどうか確かめたくなってきた。鉄道ファンの血が騒ぐ。

 3本目の追い越しは桜新町だ。地下線内はここしか追い越す場所がない。鷺沼発6時17分の各駅停車は現在、二子玉川で3分停車している。これを1分停車に短縮し、桜新町駅に2分早く着く。そこで2分遅く発車して時差Bizライナーを先行させる。いずれにしても、運行本数が増え始める時間帯であり、先行する各駅停車に追い付きそうになって、追い越し駅までは続行運転だ。中央林間駅から渋谷までの所要時間は39分。通勤時間帯の急行(所要時間41分)より速いけれど、日中の急行(同35分)より遅い。

●東京メトロも対応

 時差Bizライナーは渋谷に到着すると、そのまま半蔵門線に直通する。ここで折り返して、乗客を降ろしてしまうと渋谷駅が次の列車待ちの乗客であふれる。「乗り継ぐくらいならあとから来る直通に乗ったほうがいい」となって、時差Bizライナーを走らせる意味がない。そこで直通するわけだが、当然ながら東京メトロ半蔵門線に影響が出る。

 東京メトロの報道資料によると、時差Bizライナーはそのまま1本増発の形で半蔵門線を走る。渋谷発は6時44分。各駅に停車して、押上に7時15分着。東急電鉄の報道資料にも押上行きとなっており、東武鉄道に増発の報道資料はないため、この増発電車は押上駅で折り返しだ。

 その押上駅折り返し電車についても、東京メトロの報道資料に明記されている。「7時台の半蔵門発長津田行列車1本を押上発に変更します」とあって、一見すると無関係な延長運転に感じるけれど、これは時差Bizライナーの折り返しのために設定された。もともと半蔵門始発の渋谷方面行きは、平日の朝に1本だけ存在する珍しい電車だ。普段は渋谷発7時28分、半蔵門着7時37分の電車で到着し、いったん九段下方面の引き上げ線に入り、折り返す形になる。

 折り返しの相棒が時差Bizライナーの帰り便になってしまったから、半蔵門着7時37分の電車の帰りが気になる。減便するなら直通元の東急線内も減便となり報道資料に明記されるはず。折り返し時間を長く取って、別の時間帯に半蔵門始発が設定されるなら、その増発も東京メトロの報道資料にあるはず。どちらにも記述がないから、混雑を避けた時間帯に回送電車として渋谷方面に戻ると思われる。そうなると、時差Bizライナーの増発の裏で無駄な回送電車が1本できたことになる。もったいないから増発した方が良さそうだ。しかし、途中駅で客扱いすると所要時間が延びて、前後の列車に影響してしまう。つらいところだ。

 東京メトロの報道資料は半蔵門線の他に東西線の記述がある。西船橋~九段下に1往復、妙典発九段下行き片道1本。いまのところ直通先の東葉高速鉄道とJR総武線には増発の発表がないため、東西線内のみの設定のようだ。九段下駅の発着時刻は午前6時台で、時差Bizライナーの到着より1時間ほど前である。

●時差Bizライナーの今後、他路線の時差Biz対応に注目

 ところで、時差Bizライナーの名前の由来となった「時差Biz」は、小池百合子都知事が選挙公約で掲げた“満員電車ゼロ”の取り組みの1つだ。公式サイトがあり、参加企業にはJR東日本のほか、都内に路線を持つ大手私鉄などが参加している。一覧すると、すでに実施中、あるいは発表された施策ばかりで、時差Bizの呼びかけに応じた施策は少ない。

 その中で時差Bizライナーは新施策であり、名前を冠しているところからも象徴的な案件となる。しかし、ダイヤを見れば前述の通り、都内の停車駅は渋谷駅だけ。神奈川県内各駅からの乗客に対するサービスになっている。なんとも皮肉な形だ。これで都民は救われるだろうか。朝の準急の乗客が時差Bizライナーに移行してくれたら、少しは世田谷区民が満員電車から解放されるかもしれない。しかし、ハッキリと混雑緩和を感じるためには、1本の増発では足りないだろう。

 時差Bizライナーがどれだけ乗客を集められるか。他の列車の混雑緩和と遅延解消の一助になれば成功といえそうだ。8日間の運行でその兆しが見えたら、次のダイヤ改正で時差Bizライナー、あるいは特急の定期列車化が見えてくる。かつて田園都市線では、朝ラッシュ時の急行を取りやめ、地下線内各駅停車の準急とした。急行への人気集中を分散し、遅延と混雑を解消するためだった。このときも大きな話題になった。

 しかし、いまも田園都市線の遅延は頻発しており、新たな改革が必要だ。その試金石が時差Bizライナーといえるだろう。東横線のS-TRAINで座席指定列車の経験も積んだ。次期田園都市線主力車両として発表された2020系電車に、もしかしたら座席転換機能を付けて、田園都市線の座席指定通勤ライナーも誕生するかもしれない。首都圏で“○○ライナー”という列車名は座席指定通勤列車の代名詞ともいえる存在だ。そう考えると、時差Bizライナーの命名も意味深ではある。

 時差Bizのキーワードで、東急電鉄と東京メトロが新たな施策を打ち出した。時差出勤者に特典という施策から踏み込んで、列車の新設定・増発という積極策だ。今後、他の時差Biz参加鉄道事業者は、どんな新策を打ち出せるか。それが真に都民にとって幸せな結果になるよう期待する。

(杉山淳一)