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<週刊少年サンデー>創刊の舞台裏 集英社の独立も影響 亡き初代編集長のインタビュー公開・前編

7/1(土) 18:00配信

まんたんウェブ

 これまで多くのヒット作を世に送り出してきた小学館のマンガ誌「週刊少年サンデー」。今は、マンガ誌全体の部数も減る“冬の時代”だが、かつてのマンガ誌は、何もないところから黄金時代を作り上げた。そこで、同誌初代編集長の故・豊田亀市(きいち)さんへの2008年の未発表インタビューを前後編で公開し、サンデー創刊の舞台裏を明かす。

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 ◇サンデーは学年誌強化のために誕生

――「週刊少年サンデー」は豊田さんの企画から生まれたと聞いています。まず、どうして「サンデー」を創刊しようと思ったのか、その意図から聞かせてください。

 マンガを中心とした「少年週刊誌」を出したいという考えは、かなり早くから持っていました。というのも、学習雑誌(「小学一年生」などの学年誌)でマンガに力を入れるべきだと考えていたから。小学館はマンガ月刊誌を出していなかった。マンガを中心にした雑誌を出すことで傑出したマンガ家を育て、それを学年誌で使おうという野心があったんです。

 当時の学年誌でやっていたマンガは面白くなかった。伝統に甘えている部分があったんですね。だけど本を作る以上、面白くなければいけない。マンガを強化するには、マンガ中心の雑誌が必要だと。

 1958年の夏、相賀徹夫社長(第2代社長。豊田さんと同じ1925年生まれ)に「マンガを中心とした少年週刊誌を出したい」と言うと、即決で企画が採用された。社長はなかなかの人物ですよ。僕は感心しましたね。

 僕は小学館という会社よりも、「小学館の読者」が好きなんですよ。彼らが読んでくれる学習雑誌(学年誌)を守るためには、もっと面白くしなければいけない。そのためにはマンガを強くすること。それで少年週刊誌が必要だというわけです。それを細かく説明しなくても、社長はすぐに理解してくれましたからね。

――同じ日に講談社の「週刊少年マガジン」も創刊しています。これは当時の野間省一社長(第4代)自らの発案だったようですが、「少年週刊誌」という企画は「サンデー」のほうが早かったわけですか?

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最終更新:7/1(土) 18:00
まんたんウェブ