ここから本文です

「ない」から「ある」へ!語尾を変えると自分も変わる

6/30(金) 18:15配信

All About

◆ストレスをためやすい人には「ない話」が多い

私がカウンセリング活動を通じて実感することの一つに、ストレスを抱えている人は、発言の語尾に「ある」や「いる」という言葉がつくことがとても少なく、反対に「ない」という言葉がつくことがとても多いということがあります。

たとえば、相談者の口から「チャンスがある」「支えてくれる人がいる」「自分には力がある」といった言葉を聴くことは少なく、「時間がない」「持っていない」「いない」「できない」「やったことがない」「自信がない」「お金がない」といった言葉を聴くことが多いのです。

しかし、その人の話を聴くにつれ、「本当に“ない”のだろうか?」と疑問に思うことも多いのです。

たとえば、「友達がいない」という悩みを抱えて相談に来られる人の話を聴くと、その人にはたしかにその人の言う「フツーの友達」(同コミュニティ内の同年代の友達)はいないかもしれません。しかしよくよく聴いてみると、その人の周囲には、その人を応援したり支えたりしてくれる人が何人か見つかることが多いのです。

たとえば、「友達がいない」と悩む人のそばには、たまに愚痴を聴いてくれる親がいたり、コミュニケーション力を磨くために通っている会話スクールの先生がいたり、そこに通う仲間たちがいたりすることがあります。このように、その人が言うところの「フツーの友達」に代わるような「人的資源」はしっかりとあるのに、「ない」ことだけに注目して苦しんでいるのではないか……と感じることがあるのです。

◆語尾に「ない」が多いのは、こだわりが強い証拠?

「ない話」に終始する人は、こだわりの強い人だとも言えるかもしれません。たとえば、上記の「フツーの友達がいない」という悩みを抱える人は、自分が思う「フツー」という枠組みにこだわり、それが満たされないことにとことん悲しみを感じてしまっているのです。しかし、一つの枠組みにこだわらなければ、その人は結構たくさんの資源を持っていると思うのです。

たとえば「たまに」とはいえ、愚痴を聴いてくれる親はとても貴重な存在です。親は、家事や家族の事情、仕事などに気を揉み、非常に気ぜわしい毎日を送っています。そうした中、子どもに愚痴を言われるとつい、「つまらないことで悩まないで」「もっと強くなりなさい」などと言いたくなってしまうものなのです。にもかかわらず、何回も愚痴を聴いてくれるということは、実はとてもありがたいことなのです。

またたとえば、会話スクールの先生や仲間なども、とても素晴らしい人的資源です。先生は会話を引き出すため、自信を持たせるために、たくさんの笑顔や言葉、話のきっかけを与えてくれているでしょう。またそこに通う仲間は、自分と共通の悩みを持ち、友達になれる可能性の高い人たちではないでしょうか。しかし、「ない」にこだわる人は、「会話上手な先生のようにはなれない」「誰も自分に声をかけてくれない」「会話が苦手な自分が情けない」というように、いつでも「ない」ことだけしか頭に浮かばず、苦しみを感じているのではないかと思えます。

1/2ページ

最終更新:6/30(金) 18:15
All About