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金閣寺が焼けた日 放火した僧の「その後」 恩赦で出所後、結核に…「美に対する嫉妬と反感」

7/2(日) 7:00配信

withnews

 7月2日は金閣寺焼失事件が起こった日です。この事件は三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉「五番町夕霧楼」「金閣炎上」などの題材になりました。金閣寺は1397年、室町幕府三代将軍・足利義満の別荘として創建が始められ、義満の遺言によって禅寺に改められました。焼失後、1955年に再建された金閣寺。最近では100メートルを超える「幻の塔」の存在をうかがわせる破片が見つかるなど、新たな発見も生まれています。

【画像】現場検証で呆然とする僧侶たち、焼け落ちる前の「金閣寺」の姿

胸を短刀で突き睡眠薬

 1950(昭和25)年7月2日午前3時前、鹿苑寺(通称:金閣寺)庭園内の国宝・舎利殿(金閣)から出火し、全焼しました。犯人は当時21歳の金閣寺の従弟僧でした。

 本人の供述によると、当初は金閣と心中するつもりで火を放ったが、怖くなり、寺の裏の左大文字山に逃げたそうです。

 胸を短刀で突きカルモチン(睡眠薬)自殺を図りましたが、果たせずにいたところを逮捕。懲役7年の判決を言い渡されますが、1955年10月に恩赦で出所します。再建された新生・金閣の落慶法要から20日後のことでした。そして、半年たらずで、肺結核で26年の生涯を終えています。

 当時従弟僧は西陣署の調べに対し、「美に対する嫉妬と、自分の環境が悪いのに金閣という美しいところに来る有閑的な人に対する反感からやった」と供述していたそうです。

 彼の供述は、三島由紀夫の「金閣寺」の主題になっています。三島のノートに「主題 美への嫉妬/絶対的なものへの嫉妬」と記されていました。

三島由紀夫の『金閣寺』実際する人物をモデルに

 三島由紀夫の『金閣寺』の主人公は徒弟僧がモデルになっていますが、作品に登場する丹後由良駅の駅員も実在の人物をモデルにしていることがわかっています。

 三島は『金閣寺』出版の1956年の前年、小説のモデルになった放火事件の容疑者の徒弟僧の出身地、舞鶴を取材。由良まで歩いて、3日間滞在しました。

 主人公が駅に立ち寄った場面が描かれ、「陽気な若い駅員が、この次の休みに行く映画のことを、大声で吹聴していた」や「彼はたえず駅長をからかい、冗談を言い……」という部分は当時丹後由良駅で駅長をしていた人がモデルとなっているそうです。

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最終更新:7/5(水) 10:16
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