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高校野球で来春導入検討「タイブレーク」の意外な真相

7/1(土) 11:02配信

東スポWeb

 毎年のように議論の俎上に載せられる甲子園での投手酷使問題。来春センバツからタイブレーク制導入が検討される中、大阪警察病院の院長として長年医学的な見地から数々の改革に尽力してきた越智隆弘氏(75)が緊急提言を行った。前高野連副会長でもある越智氏が明かした、タイブレーク制導入の経緯と投手酷使問題の解決策、そして“あの事件”の真相とは――。

 越智氏が野球と出合ったのは今から30年以上前。「阪大で整形外科医をしていたころに先輩が診ていたタイガースの選手を引き継いだのがきっかけ。それまでは野球に縁もなく私自身はずっと剣道をやっていたんですが、右手中指を骨折した選手に筋力が衰えないよう左手で竹刀の素振りをやらせたんです。初期治療が終わるころにはそれもさまになっていたんですが、復帰したらなぜか打率まで上がって『ケガしたらあの先生に診てもらえ。打率も上がるぞ』と言われて大変でした(笑い)」

 その後、阪神のチームドクターを務め、多くのプロ野球選手の故障と向き合ってきた。診ているうちに入団したばかりの高卒投手の肩やヒジの故障が後を絶たないことに違和感を覚え、高野連にたびたび意見した。「まだ将来のある若者を壊すなよと、だいぶクレームは入れましたね。印象的なのが(1991年夏の)沖縄水産・大野くん。(右ヒジを痛めながらの登板が続き)甲子園決勝で大勢の観客の目の前で投手生命を絶たれた。そんなことを教育の現場でやっていていいのかと」

 越智氏の思いが通じ、93年夏から出場校投手の実態調査が行われた。当時検査を受けた130人中、検査時に痛みのあまり逃避行動を取るほどの炎症が認められた選手が10人。ヒジのエックス線撮影では23人の投手に成長期の投球障害の痕跡が見つかった。その年、甲子園に初めてドクターストップ制度が導入された。2007年5月には高野連副会長に就任。以来10年間にわたって医学的な見地から改革を行ってきた。

 来春センバツからはタイブレーク制の導入が検討されている。だが、意外にもこれは投手の酷使問題がきっかけではないという。「オリンピックですよ。東京オリンピックでの正式種目認定を目指すなかで1試合を2時間程度に抑えなければならない。タイブレークの意見はその過程で出てきたものなんです。まずは高校野球で導入して、世間的に広く認識してもらおうとなっていた」。今春センバツでは福岡大大濠―滋賀学園、高崎健康福祉大高崎―福井工大福井と、史上初めて2試合連続での延長15回引き分け再試合となり、一気にタイブレーク導入の機運が高まったようにみえるが、越智氏によると「たまたま重なっただけ」という。

 とはいえ今春センバツ準々決勝の報徳学園戦でエース・三浦の連投を見送った福岡大大濠・八木監督の英断には「ああいうチームが出てきたのはすごいこと。ようやく世間に認識が広まってきた証拠」と手応えを口にする。「医学的なことを言えば1試合の球数より、連投の負担のほうがはるかに大きいんです。高校生は中1日あればハリが残っていても障害が起こらない程度には回復する。それから球数制限というと投げ込みが悪のような風潮もあるが、むしろそれは逆。練習で投げ込んだり走り込んだりすることで、試合で故障しない強い体ができる。週に一度は200球投げ込む日があってもいい。その代わりきちんと休養日を取る。要はメリハリが大事ということ」

 長年の功績から高野連功労賞を受賞。5月に10年間尽力した高野連を惜しまれつつ退いた。高校野球の今後については「今の時代、中学から肩、ヒジを痛めている子もけっこういる。かつて私がプロを見て高校生の酷使を認めたように、中学生のうちから選手を守っていく取り組みをしていかなければいけない」とさらなる改革の必要性を提言する。ちなみに今春センバツの閉会式では高野連副会長としてあいさつした際、熱闘を演じた福岡大大濠(おおほり)を「福岡大だいごう」と読み間違える痛恨のミス。これについては「雨で日程が延びて八田会長が出席できなくなってしまった。登壇は前日に聞いていたんですが、スピーチのトップバッターというのを知ったのは式の直前。頭が真っ白になってしまって…」と頭をかいた。

「我々医者としては警告はできてもルールを作ることはできない。制度を作るためにはメディアの方々に問題を取り上げてもらい、社会全体で認識してもらうことが何より大切なんです」。越智氏が高野連に意見してから30年余り。高校野球のこの先の100年を作っていくのは高野連だけでなく、選手、指導者を含めた社会全体の使命なのかもしれない。

【タイブレーク】試合の早期決着を促すため、延長戦で人為的に走者を置く特別ルールで、高校野球では春季地区大会のほか、明治神宮大会や国体などで導入されている。春季地区大会の場合、延長13回以降の攻撃を無死一、二塁から開始するのが一般的。国際大会では2008年北京五輪のほか、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)でも09年の第2回大会から採用された。

☆おち・たかひろ=1941年11月20日生まれ、兵庫県神戸市出身。長田高校卒業後、大阪大学医学部、同大学院を経て、90年に大阪大学教授に就任。その後、大阪大学医学部長、国立相模原病院臨床研究センター長、国立相模原病院院長などを歴任し、2007年から大阪警察病院院長として執務にあたる。また07年6月から17年5月まで高野連副会長も務めた。専門は整形外科学、リウマチ学、スポーツ医学。

【松坂PL戦17回250球を機に15回制へ高校野球黎明期には試合を途中で打ち切るルールが存在せず、1933年の中京商―明石中戦では延長25回試合が記録されている。現在の延長引き分け再試合が設定されるきっかけは58年春季四国大会で徳島商・板東英二が高知商戦で延長16回、翌日の高松商戦で延長25回をいずれも一人で完投したことによる。その後、甲子園では長く延長18回制を取ってきたが、98年夏に横浜の松坂大輔が準々決勝PL学園戦で延長17回250球を投げ抜いたことが後に議論を呼んだ。松坂の例を受け、2000年春から15回制に短縮された。近年では13年春に当時2年生だった済美の安楽智大が5試合で46回772球を投げ、米メディアからも批判された。今春センバツでも福岡大大濠の三浦銀二が3試合(延長15回引き分け再試合含む)で33回475球を投げ、話題になった。

最終更新:7/1(土) 11:02
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