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大震災直後の日本で投げ続けた元楽天ラズナー その理由は…

7/1(土) 16:45配信

東スポWeb

足で稼いで20年 外国人選手こぼれ話 広瀬真徳

 今から6年前の2011年。この年のプロ野球界は開幕直前の3月11日に起こった東日本大震災の影響で大混乱を極めた。被災した東北だけでなく、東京都心でも交通、物流などがマヒ。プロ野球も開幕延期を余儀なくされ、福島の原発に不安を抱いた助っ人の中には母国へ帰国してしまう選手もいた。

 そんなさなか、「離日」を考えず日本に居続けた助っ人がいた。その一人が元楽天投手のダレル・ラズナーである。

 08年オフに名門ヤンキースから楽天入り。移籍前のヤンキースでは先発投手として活躍。現役バリバリの大リーガーだったため、震災直後は真っ先に日本を離れると思われた。

 ところが、彼は他の日本人選手とともにチームに同行。放射能汚染の情報が錯綜する中でも日本での調整を選択したのである。

 なぜ外国人である彼は日本から脱出しなかったのか。

 私は当初、ラズナーがチームと交わした契約問題、もしくは東北を本拠地に置くチームへの配慮で「帰りたくても帰れない状況」ではないかと推察した。そこで4月上旬のある日、本人に「正直なところ、米国に戻りたいのでは?」と質問すると、間髪を入れずにこう返答した。

「放射能汚染の状況などは米国にいる父親に確認してもらっている。その情報もあるから、帰国しようとは思わない。チームも一丸になって困難を克服し、シーズンに向け準備を進めている。そんな時に自分だけ離れることは考えられないしね」

 聞けば、ラズナーの父親は過去に米ネバダ州の原発関連施設に勤務。その経験をもとに、原発事故や放射能汚染などの情報を米国から発信していた。この情報をもとにラズナーは「日本は大丈夫」と、離れる決断をしなかったのだという。

 もっとも、彼の行動はそれだけではない。当時のチーム関係者に話を聞いたところ、ラズナーは父親からの助言や英語ニュース、ネットから流れる原発関連の最新情報を積極的に入手。自ら先頭に立ってチームの助っ人を鼓舞しながら、外国人選手の不安解消に一役買っていたというから頭が下がる。

 13年シーズンに右ヒジを故障し手術。以後、懸命なリハビリも及ばず14年に現役を引退したものの、直後の15年からは楽天の国際スカウトに就任した。この抜てきもひとえに彼の人柄と人望があったからこそだろう。

 現在もチームのため、助っ人探しに奔走しているというラズナー。助っ人の中でもまれに見る人格者だけに近い将来、日本で大活躍する外国人選手を送り込んでくることは間違いない。

 ☆ひろせ・まさのり 1973年愛知県名古屋市生まれ。大学在学中からスポーツ紙通信員として英国でサッカー・プレミアリーグ、格闘技を取材。卒業後、夕刊紙、一般紙記者として2001年から07年まで米国に在住。メジャーリーグを中心に、ゴルフ、格闘技、オリンピックを取材。08年に帰国後は主にプロ野球取材に従事。17年からフリーライターとして活動。

最終更新:7/1(土) 16:45
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