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辞任したウーバーCEOのジェットコースター人生

7/1(土) 8:10配信

BUSINESS INSIDER JAPAN

トラビス・カラニック氏がUberCabという名のベンチャーをサンフランシスコで立ち上げたのは8年前のこと。今ではウーバー(Uber)は、シリコンバレー発の世界的な大企業になり、同時に多くの問題行動でも有名になった。

【画像】辞任したウーバーCEOのジェットコースター人生

世界約600都市で展開する同社の企業価値は、約700億ドル(約7兆8000億円)と言われている。そして、40歳のカラニック氏の純資産は60億ドルを超えるという。

順風満帆と思われたカラニック氏とウーバーだが、この数カ月はスキャンダルにまみれ、4カ月にわたる調査の末、20人以上が解雇されただけでなく、カラニック氏も辞任に追い込まれた。

ジェットコースターのようなカラニック氏の人生を改めて振り返ってみよう。

Maya Kosoffは、この記事の過去のバージョンに貢献しています。

トラビス・カラニック氏はロサンゼルス郊外の町、ノースリッジで育った。

子供の頃の夢はスパイだったという。

学校での成績は優秀で、アメフトや陸上競技をこなす運動神経の良い少年だった。しかし、幼少期に年上の生徒からいじめられたカラニック氏は、他人から圧力を受けまいと強く心に誓った。

カラニック氏は、広告業を営んでいた起業家の母親の後を追うことになる。10代で調理用のナイフを売り歩き、18歳で初めて起業する。彼の最初のビジネスはニューウェイ・アカデミー(New Way Academy)と名付けた、SAT(アメリカの大学に入学する前に受けるテスト)の準備講座だった。

ウーバーがロサンゼルスで始まったとき、カラニック氏の両親であるドナルド(Donald )とボニー(Bonnie)は、初めてウーバーを利用したユーザーに与えられるタイトル「Uber Zero」を獲得した。

カラニック氏はコンピューター・エンジニアリングを学ぶためUCLAに入学したが、1998年に退学。

大学を辞めたのは、クラスメートのマイケル・トッド(Michael Todd)氏とビンス・ブッサム(Vince Busam)氏と一緒に、仲間同士のネットワーク検索エンジン「Scour」を開発するためだった。

カラニック氏はScourでフルタイムで働きながら、失業者たちを労働力として集めた。Scourは、共同創業者やその家族などエンジェル投資家に支えられた。

Scourは複数のエンタメ企業から訴えられ、総額2500億ドルにも及ぶ法的責任を問われると、すぐに連邦倒産法のチャプター11を申請した。

カラニック氏は、ネットワークソフトウエア開発企業Red Swooshで再起を図る。しかし、またもやトラブルに見舞われる。Scour共同創業者で、旧友のマイケル・トッド氏と対立関係に陥ったのだ。ニューヨークの同時多発テロ(9.11)後に株式市場が暴落したとき、Red Swooshは従業員の所得税分を企業の再投資に回し、法の境界線を越えてしまう。 結果、共同創業者たちは仲たがいし、Red Swoosh社はその後、上場することも企業を売却することもできなくなる寸前に陥った。

その後、両親が住む家に戻ったカラニック氏は、より多くの資金を調達。2007年には、Red Swoosh社をアカマイ社(Akamai)に2300万ドルで売却し、カラニック氏は億の金を手にする。

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