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《ブラジル》 謝罪求める声、未だ届かず=米国強制連行、不法滞在扱い=ペルー移民への理不尽な扱い

7/1(土) 6:02配信

ニッケイ新聞

(ブラジル邦字紙「ニッケイ新聞」移民の日特集号)




 ブラジル日本人移民は来年で110年を数えるが、その長い歴史の中で多くの移民が辛酸をなめた。その例の一つは第2次世界大戦中に起きた、日本人や日系人の強制退去だ。ブラジル国内ではサントス市に住んでいた日本人やその家族が強制立ち退きを命じられ、とるものもとりあえず移動し、家族がバラバラになった。だが南米諸国に目を広げると、国内移動に止まらず、米国の強制収容所まで送られたり、その後に日本に送り返されたりした例さえあるという。



 3月19日付エスタード紙が報じたシバヤマ・アート氏はペルーに住んでいたが、世界大戦勃発で米国の強制収容所に送られた例だ。


 シバヤマ氏はペルー生まれの二世だが、米テキサス州にあった強制収容所に送られた。大戦中、ラテンアメリカ12カ国からは約2200人の日本人や日系人が米国の強制収容所に送られており、その80%はペルー在住者だった。

 ラ米諸国から米国の強制収容所に送られた2200人の日本人、日系人の内、約1千人は、日本で捕虜となっていた米国人と交換する形で日本に送り返されたともいう。

 シバヤマ氏の母方の祖父母で、20世紀のはじめにペルーに移住したイチバシ・キンゾウ、ミサエ夫妻は、まさにこの事情で日本に送り返された。シバヤマ氏らはそれ以来、祖父母達に会う事は叶わなかったという。

 また、米国政府の意向で捕らえられ、強制的に米国に連れて来られたペルー在住の日本人、日系人は、身分証明書なども破棄された上に、大戦が終わってからもペルーに帰る事が許されず、米国に残り、定住する事を余儀なくされた。

 彼らは自分達の意思に反して連れて来られ、身分証明書類も作られなかったにも関わらず、大戦終了後「不法移民」として扱われ、一市民としての権利さえ与えられなかったという。


 シバヤマ氏のように、ラ米諸国から強制的に連れて来られ、強制収容所に入れられた上、家族との別離も経験した人々は、大戦終了後に米国政府を相手取って謝罪と賠償を求める運動を起こした。

 シバヤマ氏とその兄弟2人もこの運動に加わり、長い裁判闘争の末、1999年に5千ドルの賠償金の支払いで結審した。ところがその対象者の中に、ペルーから連れてこられた日本人やペルー生まれの日系人の名前はなかったという。

 シバヤマ氏らは新たな訴訟を起こした。彼らは米国に強制連行され、米国市民権を持っていなかった。そのために「不法滞在者だった」と判断されてしまい、新たな裁判でも敗訴した。

 シバヤマ氏らを支援している弁護士のポール・ミル氏は、このあたりの事情を、「ラ米出身の日系人は、自分の意思に反して故国から連れ出され、書類も破棄されるという苦しみを経験しただけではなく、不法入国者と指差される苦しみも経験してきたんだ」と説明している。

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最終更新:7/1(土) 6:02
ニッケイ新聞