ここから本文です

知られざる関東大震災「中国人」虐殺と「戦後日本のヒーロー」加藤直樹

7/2(日) 7:00配信

アジアプレス・ネットワーク

◆陸軍中隊と群衆が中国人労働者たち200人以上を殺害

1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災は死者10万5000人という惨事となった。その直後、混乱の中で、「自警団」と呼ばれる一般の人々や軍の一部によって数千人ともいわれる朝鮮人が虐殺された事実は、中学の教科書にも記載されている。ネットで読める資料としては、内閣府中央防災会議のHPで閲覧できる報告書「1923関東大震災第2編」の第4章が正確でコンパクトだ。

【関連写真を見る】「九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響」を執筆した、加藤直樹氏

虐殺の引き金となったのは、「朝鮮人が井戸に毒を投げた」「朝鮮人が暴動を起こした」といった流言蜚語だった。それを信じた人々が、朝鮮人を襲ったのである。流言蜚語も虐殺も、もともとあった民族差別の産物だった。
ところでこのとき、一部の地域では中国人労働者も襲撃対象となっていたことは、あまり知られていない。

南葛飾郡大島町(現在の東京都江東区大島)付近には当時、中国人労働者が集住する宿舎がたくさんあった。千数百人ほどが暮らしていたようだ。建設現場などで働く彼らの多くが、浙江省の青田県という、貧しい農村地域から来日した人々だった。

震災から3日後の9月3日午後、その大島町で、陸軍中隊と群衆が一部の宿舎から中国人たちを連れ出して虐殺するという事件が起きたのである。当時の警視庁外事課長の報告によれば、その数は「300名ないし400名」。少なくとも200人以上が殺されたようだ。先述の内閣府の報告書は、これについて「一件の事件としては震災時に生じた最大の殺傷事件」だと指摘している。

背景には、低賃金で働く中国人労働者に対する、日本人親方たちの反感があったと推測されている。各地で朝鮮人殺害が公然と行なわれる異常な雰囲気の中、その反感のタガがはずれ、虐殺に行き着いたのだ。

◆「国民栄誉賞」を受賞した王貞治~父親は関東大震災を生き延びた中国人青年

大島の青田県出身者の宿舎全てが襲われたわけではないので、無事に生き延びた人もいる。その一人が、王仕福という小柄な若者だった。彼は前年に青田県から来日し、建設現場で働いていた。いつも工夫を忘れない知恵者だったという。

震災から5年後、彼は日本人女性と結婚する。中華料理屋を開き、自らの祖国と妻の祖国の間で戦争が続くなか、4人の子どもを育てた。成長した末子はその後、野球の道に進む。それが、王貞治である(鈴木洋史『百年目の帰郷』小学館、1999年)。

王貞治の国籍は今も中華民国だが、彼が「戦後日本のヒーロー」であることを否定する人は一人もいないだろう。だがその王の父が、あのとき「中国人だから」という理由で殺されずに済んだのは、偶然にすぎない。

日本の歴史は、「日本民族」だけの歴史ではないし、私たちがよく知る現代日本も、「日本民族」だけでつくられてきたわけではない。

「国民栄誉賞」を受賞したホームラン王だけではなく、在日朝鮮人、韓国人、中国人を筆頭に、さまざまな民族的出自の人々が、この社会を共につくってきた。彼らの存在を否定し苦しめる民族差別は、私たちの社会の価値をも否定している。克服していくべきものであり、差別をあおる動きなど論外だろう。【加藤直樹】

加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て現在、編集者、ノンフィクション作家。『九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(ころから)が話題に。近著に『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』(河出書房新社)。