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黒田福美が語る伊丹十三監督 伝説の“生卵口移しシーン”秘話も

7/3(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 桐朋学園大演劇科を卒業後、OLを経て、女優の道に進んだ黒田福美さん(60)。不遇な日々が続いていたが、転機は1985年の大河ドラマ「春の波涛」で故・伊丹十三氏と出会ったことだった。

 ◇  ◇  ◇

 あの日のことは今も忘れないですね。84年の夏も終わりの頃、NHK放送センターのリハーサル室で翌年の大河「春の波涛」の出演者の顔合わせがありました。

 日本初の女優・川上貞奴を縦糸に明治を駆け抜けた政財界のお歴々の生きざまを描いた群像ドラマで、貞役が松坂慶子さん、夫の川上音二郎役が中村雅俊さん、福沢諭吉に小林桂樹さん……。さすが大河! と言えるそうそうたる俳優、女優が居並ぶ中、私はといえば、その他大勢の芸妓役でした。

 その時、ロの字に並べられたテーブルの私の真正面に座られたのが伊藤博文役の伊丹十三さんです。顔合わせとはいえ、みんな役柄に合わせた衣装を着ていて、伊丹さんは明治の元勲らしいりりしい背広姿。堂々として控室から会場にお越しになられた時点で輝きが違っていました。“オーラ”とか通り一遍の表現では言い表せない神々しさと圧倒的な存在感。私には別格の俳優に映り、感動に打ち震えたほどでした。

■2作目の監督作「タンポポ」に「出るかい?」

 当時27歳。約5年女優を続けていましたが、端役ばかりで食べるのが精いっぱい。先が見えず、引退して別の道を歩んだ方がいいのかと悩んでいた時期でした。そして、収録が進み、明日の撮影で私の出番が終わるという日に、初めてお会いした時に感じたままを手紙にしたため、意を決して伊丹さんの楽屋に届けたのです。次の仕事に結び付けようとか、コネづくりのためではなく純粋に「感激したことを伝えたい」という一心で。

 というのも、伊丹さんとは役者としては、天と地ほどの格の違いがありましたから話しかけるなんてもっての外。かといって何も伝えないまま現場を離れたら一方通行の共演になってしまう。「それでいいのか」と思ったんですね。

 楽屋のドアを叩くと伊丹さんがおられて緊張のあまり、挨拶もそこそこに上がり框に手紙を置いて逃げるように自分の控室に戻りました。すると翌日、「(手紙を)見たよ。今度、映画撮るんだけど、君も出るかい?」と声をかけてくださったのです。下心があったわけではなかっただけに、思わぬ展開にビックリしました。

■「女優をやめてもいい」と思っていたからできた

 それが「お葬式」(84年)に続く監督第2作の「タンポポ」(85年)です。ラーメン店が舞台で挿話の一つ、役所広司さん演じるギャング風の白服男の情婦を演じました。4シーンに出ましてセリフはピストルで撃たれた白服男を介抱する時だけ。他はト書きしかありません。話題になった役所さんと卵の黄身を交互に口移しするシーンも細かい描写はなかったですね。

 実は最初の打ち合わせにお邪魔した時、伊丹さんに「大滝秀治さんの愛人役と白服の情婦役と、どちらにする?」と聞かれたんです。愛人役はストーリー上、どういうふうに演じたらいいか、それまでの経験で“見えた”んですが、情婦役はよくわからない。「だったら、こっちの方が面白い」。そんなふうに考えて選ばせてもらいました。

「いつ女優をやめてもいい」と思っていましたから失うものなどない。細かい指示もなかったため、いただいた役を私なりに解釈して演じたのが黄身のシーンでした。公開されるとそれが思わぬ大反響。その後「日立 世界ふしぎ発見!」(86年~、TBS系)の初代ミステリーハンターに抜擢され、中山美穂さん主演の「な・ま・い・き盛り」(86年、フジテレビ系)はじめ、ドラマや映画のオファーが増え、女優として手応えを感じることができました。

 その後、伊丹さん製作総指揮の「スウィートホーム」(89年)、監督作の「あげまん」(90年)に出演させていただきましたが、プライベートでお会いしたこともなければ、事務所へお邪魔したこともありません。そして97年12月、突然の訃報……。

 振り返れば、今もこうして女優をしていられるのは「タンポポ」のオファーをいただいたから。監督と二度と会うことはできませんが、感謝してもしきれないですね。