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商社マンが噺家に 立川志の春は入門翌年の“請求額”に仰天

7/3(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 米エール大卒で三井物産に入社、バリバリの営業マンだった落語家の立川志の春さん(40)。将来を嘱望されながら、立川志の輔門下に飛び込んだのは2002年10月。ワンルームマンションからネズミが走り回るアパート暮らしに生活が一変……。

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 ボッと突然、音がしたんですよ。振り向いたらなんと、室内のコンセントが燃えてるじゃないですか。あれにはたまげました。火事にならなくて本当によかった。

 都内にも大雪が降った11年前の1月ごろです。住んでいたのは恵比寿のアパート2階の4畳半。コンセントがたった一つしかないので、タコ足配線にしたのが原因です。そんな風呂なしトイレ共同の部屋に住んでいたのは、見習い期間を含め03年から約7年。今は廃業してしまい跡形もありませんが、下積み時代は大変お世話になりました。

 角部屋の西向きで、日当たりも風通しもすこぶるいい。ただ、難点は夜中にネズミが大運動会をすることと、建て付けが悪くて隙間風がピューピュー吹き抜けること。そのころ、交際中だったカミさんは恐れをなして、ついぞ一度も敷居をまたぎませんでしたよ。

 そもそも日当たりがいいのは真夏には逆効果。熱気が室内にこもりにこもって、ドアを開けた途端、熱気の塊がドーンと雪崩のように押し寄せてくる。エアコンなんて気の利いたモノはありませんから、どれだけ扇風機を回しても汗が噴き出てキリがない。

 それでも、ずっと我慢していたんです。ところが、07年は熊谷や岐阜で40度オーバーが出た猛暑。寝てるだけで熱中症になって、このままじゃ死ぬんじゃないかと。さすがにクーラーを買いました。取り付けた晩の涼しさといったらない。汗まみれでのたうち回った夜が嘘みたいに快適でした。とはいっても予算と室内アンペアの相関関係により、格安の窓型。クーラー機能だけですから、冬はまったく役立たず。目障りな箱と化してしまったのはご愛嬌です。

■「無収入でも2年以上イケる」と思っていたが……

 落語家になったきっかけは師匠・志の輔をたまたま巣鴨の寄席で見たことです。運命だったんでしょうねえ。サラリーマン3年目の25歳、仕事に不平不満はなかったのに師匠が高座に上がった瞬間、場の空気が変わったのが衝撃的で、その翌年に入門を決意。両親を3カ月かけて説き伏せ、退職して退路を断ち、ようやく入門が認められたのです。

 もっとも、給料は出ませんから、生活費は自分で工面しなくてはなりません。二つ目になるまでにアパートは2回借りてるのですが、両方とも光熱費込みで家賃は約3万円。それに交通費と携帯電話代、食費を含めて月6万円が最低の生活費と見積もりました。それまでの貯蓄があり、9月末まで在籍したことでその年の冬のボーナスも出ましたから、「無収入でも2年以上イケる」。こう思っていたんです。

 ところが、入門の翌年に健康保険料と年金、住民税の通知書が来てあまりの高額にのけ反りました。うかつにも前年の収入に対して正比例するのをすっかり忘れていたんです。これで最後のボーナスが全額吹き飛び、結局、サラリーマン時代に契約した生保は全部解約する羽目に陥りました。

 収入はしばらく年10万円ほど。落語協会や落語芸術協会ですと、新宿末広亭、上野鈴本演芸場といった定席の下働きで最低限の生活費を稼げますが、立川流はそんな場を持っていません。そりゃ大変です。師匠や一門の師匠方の独演会の前座を務めてわずかな収入があるだけ。毎月の目標の6万円に手が届くようになったのは入門5年後。師匠や兄弟子、先輩の落語家、ごひいきさんからいただくお年玉は本当にありがたかったですよ。

 それと物産時代の元上司や同期にどれだけ助けられたことやら。食事をごちそうになり、勉強会の時に連絡すると誰かが来てくれました。真打ちまでもうひと頑張り。これからも落語を楽しみながら精進したいと思っています。