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ガソリンエンジンの燃費改善が進んだ経済的事情

7/3(月) 7:13配信

ITmedia ビジネスオンライン

 1980年代後半、クルマの燃費はおおむねリッター10キロあたりが基準だった。燃費の悪いクルマは5キロを平気で切っていたし、燃費が良いと言ってもせいぜい14キロあたりだった。それから30年。特にここ10年、自動車の燃費は驚異的に改善されつつある。

【80年の日産レパード】

 今やハイブリッドならずとも、実燃費でリッター20キロ走るクルマは珍しくない。なぜそんなに燃費が向上したのだろうか? もちろん技術のブレークスルーはあったが、それを支えたのはグローバルで見た日本の経済的地位の向上である。

 技術は、常に法律や経済という背景と密接にリンクしている。必要とされない技術開発には予算も人もつかない。裏返せば、技術の進歩は社会の要請があるからこそ起きるとも言える。

●第2次大戦後の世界経済

 日本の自動車技術がなぜ他国に比べて急速な進歩を遂げたのか? 結論から言えば、85年のプラザ合意を受けて、円が世界の基軸通貨となり、それとコインの裏表関係にある自動車産業の国際競争力が向上し、その資金によって技術的な進歩を一気に加速させたのである。

 まずは戦後世界経済の流れを俯瞰(ふかん)するところから始めよう。

 第2次大戦後の世界経済のルールが決められたのは、45年に発効したブレトン・ウッズ協定だ。大戦後の経済秩序を見据えて作られたこの体制は、非常にざっくりした言い方だが、それは米ドルを中心とした固定為替相場制であった。現在のように通貨レートが変動する為替レートではなく、米ドルと各国通貨間の交換比率が固定されていたのである。一例を挙げれば、多くの人がご存じの通り、ドル円は1ドル=360円で固定されていた。

 通貨は言うまでもなく信用で成り立っている。その信用には拠りどころが必要だ。大戦後の経済混乱の中にあってはなおさらである。その底支えをドルが受け持っていたである。ドルは主要国の通貨で唯一金との兌換を保証していたからだ。つまり金本位制によってドルの価値が保証され、ドルとの固定レートによって各国通貨の価値が保証されるという信用醸成システムによって戦後の世界経済は回り始めたのだ。

 第2次大戦によって、欧州もアジアも戦火に焼かれ、その生産力は疲弊を極めていた。その疲弊しきった世界に製品を供給した米国は莫大な富を築き上げた。何よりも米国本土が戦火に焼かれなかったことが大きい。その富を背景にしていればこそドルは世界で唯一の兌換通貨でいられた。もちろんそうして世界の通貨を支え、欧州にもアジアにも復興援助を行った米国の責任感には敬意を払うが、無情にも米国一強の時代は過去のものになっていく。

 トランプ大統領は「America is going to be strong again」と言うが、実体的には米国が強かったというよりも、世界大戦で弱体化していた他国に対して相対的に強かっただけだ。だからそんな「again」は、再び世界が弱体化しない限り来ることはない。

●金本位制の終わり

 実際、時代はその通り進んでいくのだ。その証拠に戦後世界経済の基盤となったブレトン・ウッズ体制は、26年後の71年にニクソン・ショックによって瓦解する。世界経済が復興を果たし、力を付けてくるにつれ、米国は一人勝ちができなくなった。その結果、ドルを裏付けていた金の保有量が低下し、米国といえども金兌換を継続することが不可能になっていく。

 金本位制のメリット、デメリットはわりとはっきりしている。通貨の信用を口約束ではなく、物理的担保として金が保証しているから極めて信頼性が高い。一方で、通貨の発行量そのものが金の保有量に拘束される。多少の変動はあるとしてもレートで金兌換を保証しているのだから、常に通貨の発行量以上の金を保有している必要がある。保有量が不足していることがバレれば、兌換の信頼性そのものが崩壊し、それは世界中の通貨の信頼失墜につながる。そうなれば世界経済そのものが崩壊する。つまり金は時に通貨の信頼の源であり、時に制約になるのである。

 政府の経済政策の基本は通貨量のコントロールだ。それがインフレやデフレをコントロールするメインエンジンとなるからだ。原則的には市場にある富と通貨の量がどちらに傾くかによってインフレとデフレが起きる。模式的に世界の富がりんご100個だとしよう。それに対して通貨総量が1万円であれば、りんご1個は100円だ。ところが生産量が増加してりんごが200個になれば、世界の通貨を全部投入してもりんごの単価は50円になってしまう。だからりんごが2倍に増えたら、中央銀行はそれに対応して通貨も2倍の2万円にしなくてはならない。だから、インフレになれば通貨流通量を絞り、デフレになれば増やす。通貨量は物価の調整弁なのだ。

 後に「流動性の罠」という現象が認識されるまで、通貨流通量は明確な経済の制御装置となっていたのだ。流動性の罠に関してはさすがに冗長になるので、気になる人は検索して調べてほしい。

 さて、この状況下で金本位制の弱点とは何か? 当時の米政府は、政府自身のプライマリーバランス不均衡による財政赤字と、貿易超過による国際収支の赤字を主因とする深刻なインフレに苦しんでおり、伝統的手法、つまり市場金利を引き上げて通貨の流通を抑制することで鎮静化を狙っていた。

 しかし、その政策の結果、固定された為替レートが他国の金利に比べて米ドルが突出して高金利という状況を生み出し、金の流出を招いてしまった。この場合最も有用な防衛策は、為替レートをフレキシブルに変動させて金利差を打ち消す手法だ。ところがブレトン・ウッズ体制で為替レートは固定されている。だから投機家は、政府を一方的になぶり者にできてしまう。これは経済システムのエラーだ。

 限定された状況で、政府の採れる金の兌換レート変更は小幅かつ一方向、投機家は政府の逆を突けば必ず勝てる。そして勝てばボロ儲けできる。この戦いの果てに、アメリカは膝を屈して金本位制を諦め、以後世界の通貨はドルに対して変動相場制へと変わっていく。

 ブレトン・ウッズ体制を引き継いだスミソニアン体制では変動相場制移行に際し、為替の安定、ひいては世界経済の安定のためのさまざまな試行錯誤が繰り返された。現在の世界経済は、決して成功したとは言えないこの時代の無数のトライアンドエラーから生み出されたものだ。

●日本の躍進

 そして、85年がやって来る。言わずと知れたプラザ合意だ。米国政府はかつての金の代わりとして円を指名したのである。ドルと円、つまり日米の財務当局は互いに協力して世界経済のためにドル円のレートを決めて維持する。言ってみれば、日本が米国の連帯保証人になったような形だ。

 単純化して言えば、ドルの信頼性が円によって保証される体制が確立されたのがプラザ合意である。他国通貨はこの基軸通貨たるドル円レートの上に積み上げられる形でレートが推移する。戦後、国連憲章で敵国条項に規定されていた日本が、米国の無二のパートナーとして認められた瞬間でもあった。

 さて、ここまで読むと、まるで米国だけが得をしているように見えるかもしれないが、逆もまた真なりで、円がドルの補完通貨となったことで、日本経済は、マーケットから米国経済の重要な調整要素と位置付けられたのである。そして世界の信頼を取り付けた円を求めて、世界中の投機マネーが日本に押し寄せバブルが始まるのである。

 85年当時の日本を代表する産業と言えば、自動車と家電だ。89年にベルリンの壁が崩壊して旧東欧諸国がマーケットとして育つ90年代半ばまで、世界のマーケットとは要するに北米市場であり、北米市場で成功することこそが、企業を躍進させる原動力となった。

 自動車の世界で言えば、GM、フォード、クライスラーがビッグ3になれた理由は北米市場を3分割するプレイヤーだったからだ。そこに進出したのは日本の自動車メーカーだった。特に70年代に北米で排ガス規制が強化され、また73年にオイルショックが起きて以降、日本車の低排出ガスと低燃費、そして高い信頼性が北米で歓迎され、80年代にはこれが日米貿易摩擦として表面化する。

 日本の自動車メーカーは北米に工場を設立し、日本からの対米輸出ではなく、米国生産によって地元に経済還元することでこの摩擦を切り抜け、日本が北米にとって経済的パートナーであることを再び深く印象付けた。

 さらに追い風になったのが世界中から集まった投機マネーだった。潤沢な資金に恵まれた日本の自動車メーカーは、自らの美点をさらに向上させるべく、研究開発を進める。

●真に受けた排ガス規制

 80年代、既に電子制御燃料噴射装置と三元触媒による排ガス浄化システムを完成させ、公害面での排ガス対策に一定の解決策を見出していた日本の自動車メーカーは、次にパワーと燃費競争にまい進する。

 米国のマスキー議員が提唱した公害対策法、通称「マスキー法」は米国ではビッグ3のロビー活動によってなし崩しに延期されたが、米国進出を生命線とする日本は、マスキー法を真に受け、昭和51年規制(76年)と昭和53年規制(78年)で極めて厳しい排ガス規制を実施して、致命的なパワーダウンを余儀なくされた。これをようやく脱してパワフルを売りにするクルマが登場するのは80年の日産レパード、81年のトヨタ・ソアラあたりのことである。

 排ガス規制前、排ガス性能と、燃費性能、出力性能は相反するものと考えられていたが、このころになると、どれも理想燃焼を目指すという意味では同じだという見方が強くなり、その結果、他国のクルマと比べてどの性能でも優れているという奇跡的状況が起きる。こうして日本車はハイテクカーというイメージが世界に広まっていく。

 エンジン技術において次にトレンドになったのは希薄燃焼(リーンバーン)だ。燃料を絞り、より薄い混合器を燃焼させれば燃費が良くなるはずである。パワーが必要なときにはリーンバーンでは困るが、幸いなことに電子制御インジェクションで、状況によって混合器の濃度を変えるのは難しくない。

 ところが、このリーンバーンは結局うまくいかなかった。希薄にすれば燃料の燃え残りは防げるはずだったのだが、そうは問屋が卸さなかった。薄すぎて燃えない部分で燃え残りが発生すると、カーボンが燃焼室に付着してエンジン不調を招いてしまう。

 各メーカーは燃焼室に高速気流を吹き込むなどの知恵を絞ったが、結局ものにすることはできなかった。しかしこの失敗作「リーンバーンエンジン」のために採用された直噴インジェクターが、後に大きな役割を果たすのである。

 次回は、現在の低燃費技術に至るブレークスルーについて詳細に書き進める予定だ。

(池田直渡)