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教え子たちが振り返る 上田氏思い出の猛特訓

7/3(月) 16:45配信

東スポWeb

 元阪急、オリックス、日本ハム監督の上田利治氏の訃報が伝わった2日、球界からは惜しむ声が相次いだ。阪急で指導を受けたオリックス・福良監督は「一番お世話になった。ユニホームを着ている時は厳しかった。上田さんに『大丈夫やろ』と言われたら『はい』としか言えなかった」。元阪急、オリックスのソフトバンク・佐藤投手コーチは「僕の中では一番の監督。今の自分があるのはあの人のおかげ」と言い、1978年の日本シリーズ第7戦でヤクルト・大杉が左翼ポール際に放った大飛球が本塁打とされ、1時間19分に及んだ抗議を「自信があったから、あれだけ抗議したのだろう」と振り返った。

 元阪急の山田久志氏は「普段は温厚でも野球になると激しく、熱くなる方だった。最も輝いたのは75~77年の日本一を果たした時代だと思う。広島を下して球団初の日本一、そして(76年に)初めて巨人を倒し、阪急ブレーブスを球界の勇者に導かれた、まさに名監督だった」。山口高志氏は「上さんの下でコーチをしている時の『あんたなあ』という言葉が残っている。『あんたなあ』がきついと怒られるなと思っていた。勝利への執念がすごい人で記憶力もとても良かった。今は寂しくなるなという気持ち。ご冥福をお祈りいたします」。福本豊氏は「体調が良くないことは聞いていた。ここ1年はお会いできていなかった。入団した当時はコーチで、まさに熱血指導の人。監督としては野球というものを常に研究されていた。投手の癖を見抜くなど情報を収集し、アイデアを出し、緻密な阪急の野球をつくりあげた」とコメントした。

 上田氏が95年から5年間指揮した日本ハムは、2日のロッテ戦(ZOZOマリン)で左胸に喪章をつけてプレー。金子打撃コーチは「厳しかったけど20年間、プロ野球選手としてやっていける心と体をつくってくれた。特に守備を磨いてもらった。暇さえあればノックをしてもらった」と感謝の言葉を繰り返した。上田日本ハムで主軸を務めた阪神の片岡打撃コーチは「自分がヒジを痛めたりしてプロ野球選手として分岐点の時に厳しく指導してもらった。その厳しい練習があったからこそ今もユニホームが着れている。感謝しかない。上田さんは裏表がない方で自分が結果が出ない時でもユニホームを脱いでる時はやさしく接してくれてました。残念です」と惜しんだ。

最終更新:7/3(月) 16:45
東スポWeb