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星野社長 御曹司の「特権」を捨て、シティバンクに入る

7/3(月) 13:00配信

ニュースソクラ

「わが経営を語る」 星野佳路星野リゾート代表に聞く(1)

 星野リゾート(長野県軽井沢町)は昨年、東京・大手町に日本旅館を現代的にアレンジした高級旅館「星のや東京」を開業して話題になった。トップの星野佳路代表は軽井沢の老舗旅館の4代目に生まれて、現在は旅館、ホテルの運営受託を軸に独自の経営スタイルを追求している。日本の観光業に新風を吹き込む発想はどこから来るのか、語ってもらった。

――観光地にある旅館やホテルは、多くが同族経営による家業です。星野さんも1914年(大正3年)開業の星野温泉旅館(株式会社星野温泉)の御曹司です。いったんは89年に跡を継ぐために入りながら、半年ほどで辞めて、しばらくほかの仕事をされましたね。なぜですか。

 大学を卒業して、ビジネスを勉強しに米国に行ったんです。そのコーネル大学ホテル経営大学院の修士課程で学んでいる間に、家業である旅館を継ぐということは、どういうことなのか段々明確になってきましてね。それまで家業を承継する意味が、ぼやっとしてよくわかりませんでした。

 僕が学生時代にやっていたアイスホッケーの選手ならば、点を取って活躍する選手になるのが目標になります。では家業の旅館に入って何を目指すのか。コーネルで勉強するうちに、優秀な経営者になることが個人的なビジョンになったのです。

 僕が米国にいた80年代から90年代は、経営者に求める要件ががらりと変わったときでした。一番変わったころかもしれません。それまで経営者に重視されていたのは、不動産とか、おカネとか、特許などの資源をマネジメントすることでした。ところが、人材のマネジメントが経営者に望まれる最も重要な能力に変わったんです。

 極端に言えば、それ以前は、やる気の無い社員の責任はその社員にあると考えられていました。やる気の無いヤツが悪いで済んでいたわけです。しかし80年代以降、社員にやる気が無いのは、経営者に責任がある。社員のやる気を引き出す経営ができる人が優秀な経営者だとなったのです。

――ちょうど変わり目だったのですか。

 既に変わっていたのです。大学院に入ってヒューマン・リソースなどのいろんなコースを履修するときには、そういう理論が確立していました。

 ちょうどケン・ブランチャードが、その種の論文を書いたのが80年代ですよ。『1分間マネジャー』に始まって『1分間エンパワーメント』などの1分間シリーズが出てきたのは、まさにあのころでした。

 つまり優秀な経営者になるということは、いかに一体感のあるチームを作り、社員のモチベーションをマネジメントして、一つの目標に向かって全員の能力をどう発揮させられるかに、かかっているわけです。ここが一番重要な経営のポイントです。

 実はそういう経営の概念を持って、実家に戻ったら真逆の状態だったのです。先代は違う時代に育っていますから、社員をチームメンバーではなくて使用人と呼ぶわけですよ。従来からの、やる気の無い社員は本人の責任だという考え方と、僕は対立することになりました。

 優秀な経営者になるのが僕の目標で、別に家業を継ぐことではないのですから、全く考え方の違う所にいる自分へのマイナスをものすごく感じましたね。

 僕は経営陣の一員として入ったので、社員に対して目指すべきチームとかモチベーションという話をせざるを得ないわけです。しかし会社が実際にする意思決定は、僕の言葉とは全く逆なのです。

そうすると同族会社の中では、特権階級と使用人という感じになる。特権階級は仕事での貢献度とは関係なく特権を持っているわけです。これは当時、僕が目指した経営者の概念に照らして問題のある状態です。

僕がいくらまともなことを言っても、社員は、あなただって特権階級の一族の一員じゃないかと見始めるわけです。そこが、僕が辞める決意をした一番大きな理由だったですね。29歳の時でした。

――辞めて、すっきりしたのですか。

  すっきりしましたね。辞めて初めて、あの人は本気で言っていたのだ、特権階級の人ではなかったのだと、スタッフがわかってくれましたからね。全く何の後悔もありませんでした。

――それでシティバンクに入ったのですか。

 コーネルを出て日本に帰るまで米国でホテル開発の仕事をしていたこともあって、ネットワークが向こうにしかなかったものですからね。シカゴに行ったりニューヨークに行ったりしていたら、こういう仕事があるということだったのです

 ホテル業に行こうと思っていたのですけど、当時、シティバンクはホテルに貸し込みすぎていましてね。やった仕事はリゾートとホテルの債権回収業務なのです。問題になっているリゾートとホテルの財務内容を全部見られるので、これは面白いと思ったんです。

――91年に呼び戻されて社長になるわけですが、4代目としての使命感があったのですか。

 使命感というよりも、当時、会社にはいろいろな問題があったのです。僕が辞めた89年は、バブル経済の中で、リゾート法によって新規参入がばんばんありました。それへの危機感が同族の株主の中に高まっていましたし、社員の主なメンバーからも戻ってきてほしいという声がいくつも出ていました。それで戻ったんですけどね。

――先代のお父さんと対立したのですから大変でしたね。

 大変ですよ。ただ同族会社にはよくあることで、正当な引継ぎの一つだと僕は言っています。大塚家具さんは上場しているので注目されましたが、日本の同族会社では日常茶飯事ですよ。

(次号に続く)

■聞き手 森 一夫:「わが経営」を語る(経済ジャーナリスト、元日経新聞論説副主幹)
1950年東京都生まれ。72年早稲田大学政経学部卒。日本経済新聞社入社、産業部、日経BP社日経ビジネス副編集長、編集委員兼論説委員、コロンビア大学東アジア研究所、日本経済経営研究所客員研究員、特別編集委員兼論説委員を歴任。著書に「日本の経営」(日経文庫)、「中村邦夫『幸之助神話』を壊した男」(日経ビジネス人文庫)など。

最終更新:7/3(月) 13:00
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