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フェイスブックでよく指摘される『失ったもの』 それは突然やってきた

7/4(火) 11:10配信

qBiz 西日本新聞経済電子版

 利用者数が全世界で20億人を突破したというフェイスブック(FB)。私も始めて2年近くになるが、この間、日ごろ疎遠になりがちだった人たちとの距離がずいぶん縮まった。

 同時に、よく指摘される「失ったもの」も、遅まきながら実感している。

 それは突然やってきた。

振り返ると、中学時代の友人

 私の地元、北九州市内のスーパーで後ろから声を掛けられた。振り返ると、中学時代の友人だった。

 友人「あ、吉武?」
 私 「おおっ、久しぶり」

 友人「やっぱりそうだ。後ろ姿でそうじゃないかなって思った」
 私 「そういえば、犬、かわいいよね」

 友人「そうやろ」
 私 「この前、おなかの上に乗せてたね」

 友人「うん」

 友人とは飲みに行く約束をして別れたが、再会は約20年ぶり。それなのに、いつも会っているような錯覚に陥っていたから不思議だ。

 “犯人”はFB。

20年もの年月が与えてくれるはずだった「驚き」や「感動」

 友人と私は2016年6月からFB上でも友達になっていた。以来、お互いの投稿を見ている。掲載した写真や書き込みで、友人がどんなペットを飼い、日ごろどんなにかわいがっているのか、知っていた。

 だから会話も、日常の「続き」のような内容に。FB上でメッセージも交わしていたため、互いにもう疎遠ではなく、心の距離は縮まっていた。ところが、それとは引き換えに、「失ったもの」もある。

 それは、20年もの年月が与えてくれるはずだった「驚き」や「感動」だ。久々の再会だったにもかかわらず、昨日も会っていたかのような印象が拭えなかった。

 むしろ、FB上で友人の存在を見つけ、向こうから先に友達申請をしてくれた時の方が、興奮した。感動を、先食いしていたのかもしれない。

 もちろん、生身の相手とリアルに接することは、うれしいことだ。お互いに老けた顔、太った体を目の当たりにすることもできた。でも、事前に見ていたFBの投稿で、互いの容姿は「想定内」だった。

 利用者が世界に20億人以上もいるFB。私と同じように、「失ったもの」を実感し、情報をうまく処理できずに不思議な気持ちになっている人は少なくないのかもしれない。

 友人とは最後にこう言って別れた。

 「いつも見てるよ。フェイスブック」

西日本新聞社