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人工知能に「仕事を奪われる」ことの何がいけないのか?

7/6(木) 10:27配信

ITmedia エンタープライズ

 日本における第3次人工知能ブームのキッカケの1つは、2013年9月に発表されたマイケル・A・オズボーン博士の「THE FUTURE OF EMPLOYMENT」という論文だと私は思っています。“10年後になくなる職業について分析した論文”といえば、覚えのある方もいるのではないでしょうか。

【総務省統計局が毎月公表している労働力調査】

 この論文には「米国労働省が定めた702の職業のうち、自動化される可能性が高い仕事が47%ある」という衝撃的な結果がまとめられています。中には自動化は無理だと思われるバーテンダーなどの職業も含まれており、「なぜロボットが代替可能なのか?」と誰もが疑問に口にしました。

 その答えとして、日本で広まったのが「機械に人工知能が組み込まれているから」「人工知能は私たちの仕事を奪う脅威だ」という誤解でした。

●人工知能は人間を上回るほど「賢い」のか?

 人間の仕事を奪うほど人工知能は「賢い(スマート)」のでしょうか。例えばAlphaGoは世界最強の棋士である柯潔(カ・ケツ)に勝利しましたが、このことから「人工知能は人間を上回る賢さだ」と断言できるのでしょうか。

 答えはNoです。これは限られた領域の特定の能力に限って、人工知能が人間を上回ったに過ぎません。AlphaGo自体は交通事故を防げませんし、今日の晩飯は何がオススメかを教えてはくれません。それをするには、AlphaGoを作り直す必要があるでしょう。

 連載の第1回で「鉄腕アトムのような万能な“人工知能”が生まれるまでには、2段階のカベがある」と紹介しましたが、ある特定領域だけ人間を上回る人工知能が第1段階、それらを統合し、全ての領域において人間を上回る人工知能が第2段階だと考えればいいでしょう。

 そして、第1段階で作られた人工知能は、それぞれ機能やアルゴリズムが全く別のものであり、「ある特定領域だけでも何千、何万とあるのでは――」というのが私の正直な所感です。それを統合するとなると膨大な時間がかかると思います(レイ・カーツワイル氏のシンギュラリティ論ではボトムアップ型で第2段階が到達するのではなく、いきなり第2段階に着手できると表現していますが)。

 そもそも、周囲を見渡せば、人間を上回る処理能力を持ったコンピュータが既に存在しています。そろばんで大量の計算を短時間で行うことには限界がありますし、文書作成は紙と筆では膨大な時間が必要です。人間を上回る“人工知能”は既に存在し、私たちはそれらを「道具」としてうまく活用しながら暮らしているわけです。

 AlphaGoを開発したDeepMindのデミス・ハサビスCEOは「柯潔が勝とうとAlphaGoが勝とうと、それは人間の勝利である」と語りました。まさにこの言葉の通りで、人間は「○○領域に特化した人工知能」と名付けられた、新たな道具を手にしたにすぎないと私は感じています。

●「仕事」が奪われると、なぜ私たちは困るのか?

 私たちが「人工知能」を恐れる理由の1つは、あらゆる自動化によって、仕事に人間を必要としなくなる状況が考えられるからでしょう。私たちは「仕事をする」という労働力の対価として賃金をもらいます。仕事がなくなるということは、労働力を提供する先がなくなるわけで、その対価としての賃金も発生しません。

 お金がもらえなければ私たちはどうやって暮らせばいいの? という疑問に対する答えがないために、人工知能が私たちの仕事を奪う“脅威”に見えるのではないでしょうか。

 しかし、人類の歴史上、これまでなくならなかった職業などごくまれです。鉄道改札員は自動改札機械に代わり、港湾労働者はコンテナに代わりました。機械の誕生により、人が就く職業自体がなくなった例を挙げればきりがありません。機械化で生産性が大幅に向上したのも事実でしょう。

 人間は約200万年前の「石器」という道具の誕生以来、イノベーションとカイゼンが繰り返されるたび、職業は無くなるか、人手が大幅に不要になるか、そういう歴史を繰り返してきたのです。では、彼らが完全に失業してしまったかと言うと、そうではありません。同時に、新たな仕事とそれを網羅する職業が誕生したわけです。

 以下のグラフを見てください。これは総務省統計局が毎月公表している労働力調査の結果で、1953年から2010年までの職業別就業者数を表しています。最新のデータはありませんが、これは2009年に職能の改定が行われて比較ができなくなったことが理由です。

 グラフからは「農林漁業関係者」は1961年ごろから大幅に減少したこと、そして「製造・制作・機械運転及び建設作業者」は1998年ごろから緩やかな減少を続けていることが分かります。一方で「専門的・技術的職業従事者」や「保安職業、サービス職業従事者」は増加を続けています。

 つまり、歴史的に異なる産業間(職業間)の労働移動はあったわけで、「仕事を奪われたくないから人工知能には反対だ」と考えるよりも、「人工知能という武器を身につけて仕事に就く」という方が自然な流れだと思います。人工知能によって、今の仕事が“進化”すると捉えることもできるでしょう。

 最近では、勤労しているかどうかにかかわらず、政府(行政)が全ての個人に無条件で一定の所得を支給する「ベーシックインカム(Basic Income=最低所得保障)」という制度の実証実験を行う動きが世界中で起こっています。ある程度の時間はかかると思いますが、AIによって、必要とされる人間の労働力が減ったとしても、それに合わせた職業や社会システムが新たに構築されるわけです。

 そういう時代を迎えるためにも、政府(特に厚生労働省や経済産業省)は雇用調整や社会人教育などに力を入れるべきだと考えます。内閣府主導の未来投資戦略の一環として、「人工知能技術戦略会議」が開催されていますが、議事録を読む限り、雇用問題にはまだ触れられていないようです。

●学校教師の人工知能は「イジメ」を解決できるか?

 先ほどお話しした「人工知能という武器を身につける」とは、人工知能にできることを任せ、人間にしかできないことに集中する。その区分ができる能力を身に付けるということだと私は思っています。ここで1つの例を考えてみたいと思います。

 昨今、Edtechに代表されるように、教育現場におけるIT化が進んでいます。勉強を教えること自体は人工知能の発達により自動化が進むかもしれません。今でも授業の動画化が進んでいるケースもありますし、今後は学校教師の負担は減っていくでしょう。

 それでは、学校教師という職業は無くなるでしょうか。私の知り合いの小学校教師に聞いてみたところ、彼は「では、人工知能は学校で起きたイジメを解決できるのか?」と逆に質問されました。

 私自身、高校2年生でイジメに遭って不登校になった経験がありますが、その経験から考えると、現状では「人工知能での代替が非常に難しい」と感じました。イジメの問題には、被害者がいて、加害者がいて、傍観者がいて、関係のない第三者がいます。そして、多くの場合、加害者と傍観者の区別が非常に難しいことが、問題を複雑にしています。

 この子はいじめられている可能性がある、この子はイジメに加担している可能性があるといった示唆や、可能性の提示までならばできるかもしれません。ですが、人間ですら事態の把握が難しい問題を、人工知能が果たして解決できるでしょうか。

 ましてや、人の心に関する問題です。決まった解決策があるとも思えません。それこそ、前回で説明した「答えのない問いに対して考え続ける知性」が問われると私は考えています。

 これから人工知能が普及するにつれて、答えが決まっていない問題、特に「人によって答えの違う問題」を解決したり調整したりすることが、人間に任される仕事になると考えます。読者の皆さんは、どう思いますか?

 結局のところ、全ての領域において人間を上回るような人工知能(人工知性と呼んだ方がいいかもしれません)が登場しない限り、人工知能は人間の労働を高度にサポートする存在として定着していくのだと思います。「仕事」という面においては、人工知能は労働力という負担を減らす自動化の道具だと定義できるでしょう。

 一方で何を、どのように自動化するのかという点においては、われわれの想像力をはるかに超えると考えます。この手の議論で、私たちが持つべき危機感があるとすれば、「(言語化できなかった)勘や経験が、大量のデータによって“陳腐化”する」ということです。詳しい具体例は、次回ご紹介したいと思います。お楽しみに。