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大名朝倉氏の銅像なぜゼロ? 調査で発覚「意外」な事実

7/6(木) 18:13配信

福井新聞ONLINE

 戦国武将や文化人、会社の創業者…。金ピカの立像や味わい深い緑色の胸像など、一度は目にしたことがあるはず。偉人らに「いつでも会える」銅像は、文献だけではうかがえない人となりとともに歴史への想像をかき立ててくれる。先人たちは銅像に姿を変え、いつも福井県民、地域を見守っている。

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 西洋では古くから、国王らの銅像を造る伝統があったが、日本で造られ始めたのは、鎖国が終わった明治期以降。第2次世界大戦では金属を兵器に転用するため、銅像にとって“受難の時代”が到来したため、消えてしまったものもあるとみられる。県立図書館によると、屋外に設置され、福井にゆかりのある幕末・明治維新期までの先人の銅像(石像を含む)は福井県内に35体。このほか、学校の創立者や企業の創業者、地域貢献者らの銅像があるが、数は定かでない。

 「銅像には功績を後世に伝えて、地域の人に守り継いでほしいとの思いが詰まっている」と話すのは、県立図書館の渡辺力主任。戦前は天皇に忠誠を誓った人物や明治維新の貢献者が多く造られた。戦後になると、地域に貢献した人や文化人らにも広がっていった。

 渡辺主任の調査では、銅像になった先人を幕末・明治維新期までに区切ると、勝山、坂井両市と永平寺、池田、南越前、美浜の各町は「銅像空白地」。残りの市町では確認できており、ライオンズクラブやロータリークラブ、顕彰会が設置しているケースが多いという。

 福井県内には誰の銅像が建っているのか。福井市の足羽山の「継体天皇像」(石像)が最も古く、建立は1884年。1948年の福井地震で倒壊したが、震災復興の目的もあって復活した。

 福井が誇る彫刻家らの作品もある。柴田神社(福井市)の柴田勝家像(建立1967年)、小浜市中央公園の梅田雲浜像(同65年)は福井市生まれの彫刻家・故雨田光平氏作。自らの命と引き換えに幼児の命を救った江戸時代の女性「綱女(つなじょ)」像(小浜市西津小、同42年、石像)は、若狭町生まれの彫刻家・故松木庄吉氏の作品だ。福井市の幸橋南詰に建つ由利公正像と若狭町松木神社の松木庄左衛門像は、元春江工高校長の故末本虎男氏が制作した。

 一方で、意外な事実もある。戦国大名朝倉氏の銅像は1体もない。朝倉氏遺跡保存協会の岸田清会長は「10数年前に銅像を造りたいとの提案があった。遺跡全体が国の特別史跡で、遺跡には銅像は似合わないとの理由で断った」と明かす。「今後も建てる予定はない」。

 銅像は公衆の目に触れることを目的に造られている。渡辺主任は「銅像は、ゆかりの場所に建っているので、歴史や自然を感じながら楽しんで」とアドバイスをくれた。

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■コシヒカリの父 石墨慶一郎

 いまや人気の全国ブランド米「コシヒカリの父」と呼ばれる石墨慶一郎博士。県農業試験場に勤務し、コシヒカリを育成した。銅像は坂井市丸岡町舟寄に建っており、右手には稲穂を高々と掲げている。

■繊維王国の母 細井順子

 繊維王国の礎を築いた“母”ともいえる細井順子像は、福井市の県繊協ビル内にある。34歳の時、京都で「バッタン機」による手織り技術を取得。帰郷後、品質改良に研鑽(けんさん)を重ね、多くの人々に技術を教えた。女性の像は珍しい。

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■変わり種 銀河鉄道999

 敦賀市のJR敦賀駅から気比神宮までの歩道に設置されている「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」のブロンズ像28体。「港」や「鉄道」といった敦賀のイメージにマッチしており、観光客らを楽しませている。

▽1体のお値段 1000万円

 「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」像などを手掛けた竹中銅器(富山県高岡市)によると、約1.8メートルの一般的な立像で費用は約1千万円前後。製作には胸像が最低2カ月、立像は3カ月かかるという。同社の担当者は「発注者の思いやこだわりを徹底して聞いた上で造っている」と話した。

福井新聞社