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小田急電鉄「保存車両全車解体」デマの教訓

7/7(金) 7:10配信

ITmedia ビジネスオンライン

 6月24日、小田急相模大野駅に隣接する車庫「大野総合車両所」に懐かしい車両の姿があった。引退したロマンスカー10000形「HiSE」だ。先頭車に伝統の展望席を設け、他の座席は眺望に配慮してハイデッカー(高床)構造とした。先頭車は、先代7000形LSEより鋭い角度の流線型で人気があった。

【小田急の新型ロマンスカー70000形】

 しかし、自慢のハイデッカーがアダとなり、先代7000形LSEより先に引退した。2000年に「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律」、いわゆる交通バリアフリー法が制定された。1987年に製造された10000形HiSEは、20年経過をめどに車体更新、つまり延命工事が必要だった。

 ところが10000形HiSEは、乗降口に階段があるため、車椅子対応は困難と判断された。そこで、先に投入した7000形LSEをバリアフリー対応して延命させ、10000形HiSEは新型の50000形VSEと交代する形で引退させられた。

 10000形HiSEは4編成あった。2編成は長野電鉄に譲渡され、編成を短縮しバリアフリー対応を実施して現在も活躍中だ。小田急側に残された1編成は廃車解体。残り1編成は、先頭車2両と中間車1両が喜多見検車区に保存され、残り8両は廃車解体となった。

 大野総合車両所に現れた10000形HiSEは、喜多見で大切に保存されていたはずの3両だ。6月24日未明に通勤車両に連結されて回送される姿が目撃されている。始発電車が動き出して以降、Twitterなどで目撃報告写真が続々とアップされ始めた。

 この段階では好意的な見方が多かった。小田急電鉄は7月6日から、ロマンスカー3000形SEの就役60周年を記念するキャンペーンを行う。車体にロゴマークを掲出したり、アテンダントに往時の車内販売の制服を着用させたりと祝賀ムードを盛り上げる。大野総合車両所の10000形HiSEも、喜多見検車区の奥から引き出されたからには、公開イベントなどを実施するのではないか、という臆測があった。大野総合車両所はたびたび一般公開イベントを実施している。

 しかし、大野総合車両所にはもう1つの顔がある。廃車解体業務だ。その懸念を裏付けるように、内部告発のような怪文書が小田急電鉄OBに向けて出回った。原本は、差出人不明で郵送された書状だったという。

●怪文書の内容とは

 そこには、新社長の方針で保存車両の解体が決まったこと、車両の保管によって業務に支障があり、車両部長が会合の席で「今後当社は一切車両の保存をしない」と公言したなど、衝撃的な内容が書かれていた。続いて新社長批判の文言が並び、車両保存は郷愁やファンのためではなく、過去の技術を後世に伝える産業遺産としての価値がある、と続く。

 締めくくりは、廃車解体を防ぐために外部の人々に実情を知らせ、鉄道趣味者だけでなく、産業遺産、文化遺産に関心を持つ人も巻き込んで世論を盛り上げたい。そのために、マスコミにも知らせたい、と結んだ。つまり、その意をくんだ人が私に怪文書を転送してくれた次第だ。

 私は怪文書(をタイプした文書ファイル)を受け取ったものの、扱いには悩んだ。提供してくれた人は信頼できる。情報としても、保存車両の形式、回送日、解体業者引き渡し日が記されており具体的だ。実際に10000形HiSEは大野総合車両所に移動している。文書では6月29日となっていて、実際の6月24日とは異なる。しかし、計画が前倒しになっているとしたら、急いで対処しなくてはいけない。

 小田急電鉄は10年前、開業80周年を記念して、インターネット上に「小田急バーチャル鉄道博物館」を公開した。現在も公開している。なるほど、自社の博物館を持たない会社としてはこういう方法もあるか、と感心した。実際の車両がなくても、思いは残せる。会社としてそういう判断をしたと言えそうだ。

 小田急電鉄広報に電話してみたところ、「えっ、大野にHiSEですか、知りませんでした。確認します」と言われたまま。翌日も連絡はなかった。しかし、これでハッキリしたことはある。広報が知らないということは、間もなく始まるロマンスカー3000形SEの就役60周年記念キャンペーンとは無関係だ。あるいは、この件に関しては言えない、都合が悪いのかもしれない。こうして“保存車全車解体デマ”について、状況証拠ばかり積み上がっていく。

●小田急ファンの“神様”が動いた

 「小田急が保存車両を解体する」というデマはTwitterやブログに拡散しつつあった。怪文書もアップされた。内容は鉄道ファン視点の経営陣批判を含んでおり、放置すれば小田急電鉄と鉄道ファン、ともに品格を疑われそうだ。

 この事態を収拾するために動いた人物がいる。生方良雄氏。大東急に入社し、分社後は小田急電鉄に在籍。ロマンスカー3000形SEなどの開発に関わり、車両部長、運輸計画部長ののち、箱根ロープウェイの専務取締役を務めた。現役時代から鉄道雑誌に寄稿しており、小田急電鉄関連で多数の著書がある。小田急ファンにとって神様のような存在だ。

 生方氏は小田急電鉄に問い合わせると同時に、会長と社長に全車解体をしないよう書面で申し入れた。それが6月27日。29日には生方氏の知人が株主総会で保存車両と博物館建設について質問したという。7月3日、生方氏は小田急電鉄広報部長と車両担当課長と面会し、説明を受けたそうだ。

 結論から書くと全車解体ではなく、3分の1にあたる7両の解体であった。

 生方氏の見立てによると、「10000形 喜多見から相模大野へ回送」という業務告知を見た社員が疑問を感じ、関係者に聞きまわったところ、解体日が決まっていた。それで10000形が3両とも廃車解体されると思い込み、他の保存車の回送予定もあることで大ごとだと感じ、仲間へ触れ回った。きっと小田急が好きで小田急に入社した人だろう。電車をないがしろにする上層部に落胆した。その思いがつのって、辛らつな経営批判につながったと言えそうだ。

 「うわさは怖いですね。しかし、犯人捜しをしてはいけません。小田急も、今後はできるだけ正しい情報を流すよう気を配るそうです」(生方氏)。

 生方氏への取材のあと、小田急電鉄広報からも回答があった。「HiSEについては先頭車を残して中間車は解体します。60周年事業は発表通りの内容で、この車両とは関係ありません。保存車全車解体という方針ではなく、各車種を少なくとも1両は残そうと苦心しました。社長も車両部長も、むしろ社内外で残したいと発言しており、うわさについては残念に思っています」とのことだった。

●小田急電鉄の真意は“在庫の整理”

 生方氏によると、小田急側の事情は次の通り。2018年3月に下北沢地区の複々線化工事が完成し、ダイヤ改正を実施する。これに合わせて、新型特急車両70000形も完成する。ただし、現在の特急車両の引退はない。つまり、特急の増発が行われる。私の予想では、近年需要が増している“座れる通勤電車”を考慮しているのだろう。

 喜多見車両基地は都心に近く、特急電車の運用基地として重要だ。車両は純増となるから、保存車を置く場所を減らしたい。そこで、会社として保存車両数の見直しを行った。その詳細は以下の通りだ。

・モハ1形10号は喜多見で保存(小田原急行鉄道開業当時に使われた電車。1927年製)
・ロマンスカー10000形HiSEは先頭車1両のみ保存、先頭車と中間車1両ずつ解体(ハイデッカーと鋭角的な先頭車両が特徴。1987年製)
・ロマンスカー20000形RSEは先頭車と中間車1両ずつ保存、先頭車1両解体(中間車は2階建て。JR東海に乗り入れる「あさぎり」に使用。1991年製)
・ロマンスカーNSE3100形は先頭車2両と中間車1両の計3両を保存、中間車3両解体(小田急初の先頭車前面展望席を採用。1963年製)
・通勤形2200形は先頭車1両を保存、1両解体(先頭車前面2枚窓。小田急の高性能通勤電車の基礎を築いた。1954年製)
・通勤形2600形は先頭車1両を保存、現状維持(初の20メートル級大型車。“小田急顔”の保存車。1967年製)
・通勤形9000形は先頭車1両を保存、現状維持(初の地下鉄乗り入れ対応車。独特の前面形状は他社にも影響を与えた。1972年製)
・ロマンスカー3000形SE5両は海老名保管庫で保存、現状維持(連接車体を採用し、狭軌の世界最高速度記録保持。日本の鉄道高速化の礎となった。1957年製)

 今回の解体車両数は7両、保存車両数は合計15両となる。この結果について生方氏は「やむを得ない」と語った。解体ではなく、譲渡も検討したという。しかし、これらの車両はアスベストを使用しており、管理放棄や災害などで劣化、破損した場合、譲渡側の責任も問われる。また、大野総合車両所から搬出する場合は車体の切断が必要。拠出駅の変更は搬出経路などの設定や許可に時間がかかり、差し迫る用地難に間に合わない。

 「2200形の駆動装置は当時最高の技術であり、狭軌の小田急では開発に苦労したそうです。こうした部品や機構だけでも大学や研究機関で引き取っていただけないだろうか」(生方氏)。

●小田急博物館の早期整備を願う

 小田急電鉄は在庫整理を完了しても15両を大切に保存する。博物館が成立する数だ。京王電鉄は開業100周年を記念して、2013年に「京王れーるランド」を開業した。歴代の電車5両を展示している。東急電鉄は1982年、創立60周年を記念して「電車とバスの博物館」を開館。電車2台と一部カットされた電車2台、バス2台を展示している。東武鉄道は創立90周年を記念して、1989年に東武博物館を開館した。蒸気機関車2台、電気機関車2台 電車3台、貨車1台、バス、ロープウェイ搬器を展示する。小田急博物館を作るとしたら、これらよりも大きな規模になるだろう。

 生方氏によると、鉄道博物館の構想はあるという。候補地として海老名駅付近の小田急線とJR相模線の線路の間のあたりが検討されたことがある。しかし、小田急電鉄にとって負担が大きいうえに、地元自治体からの支援協力面などで課題が多く、実現は未定。10年後には開業100周年の節目を迎える。記念事業として開館を期待したい。

 しかし、建屋を作り、維持管理し、学芸員などを常駐させるとなると、年間の費用も膨大だ。おそらく、前述の私鉄系博物館は利益を出してはいない。小田急博物館について試算したところ、見込まれる入場者数で赤字を出さないためには、入場料が1人5000円くらいになってしまうという。現実的ではない料金だ。

 「これでは沿線の人々に親しんでいただく施設にはなりません。ただし、博物館は収支が償うものではありません。文化的、産業的遺産の保存、鉄道技術の伝承、地域との密着、そして、会社と利用者のつながり、具体的には鉄道事業への理解と愛着を得るためにあります。さらに、用地買収に始まる地域とのかかわりや官庁提出書類などの保存資料の解析、技術の開発と伝承の記録の公開など、学術的責務も多い施設です」(生方氏)。

 小田急電鉄単体での事業化が難しければ、多くの鉄道ファン、小田急ファンの協力を仰ぐ手法も検討してはどうか。車両保存の資金をクラウドファンディングで集める手法は珍しくない。鉄道会社、自治体、鉄道ファンの“みんなでつくる博物館”は、小田急電鉄なら可能かもしれない。

 それぞれの時代の証人となる方々は高齢になりつつある。他界によって記憶も資料も散逸してしまう。失礼ながら、生方氏もお元気とはいえ90歳を超えておられる。館長、名誉館長にふさわしい方だ。小田急電鉄には、創立100周年を待たず、一刻も早く小田急博物館事業に着手してほしい。

(杉山淳一)