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上田利治さん「幸せな人生」 妻・勝子さん代弁 告別式に250人参列

7/7(金) 6:03配信

デイリースポーツ

 阪急、オリックス、日本ハムで監督を務め、1日に肺炎のため80歳で死去した上田利治氏の葬儀・告別式が6日、横浜市青葉区の公益社会館たまプラーザで営まれた。阪急時代の教え子である山口高志氏(67)や松永浩美氏(56)ら、球界関係者を含む約250人が参列。歴代7位の監督通算1322勝を挙げた名将との最後の別れを惜しんだ。

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 涙をぬぐう家族、球界関係者に見守られながら、名将が天国へと旅立った。出棺時に流れたのは3度の日本一に導いた阪急ブレーブスの球団応援歌。喪主を務めた妻の勝子さん(79)は「大好きな野球に最後まで関わらせていただくことができ、幸せな人生だったのではないかと思っております」と故人の思いを代弁した。

 晩年は病魔との闘いだった。2009年に診断を受けた肝臓がんと並行し、パーキンソン病を発症。喉の筋力が衰え、食べることもままならない状態となり、肺炎の治療と再発を繰り返した。永遠の眠りにつくまで、苦しい入院生活は90日間にも及んだ。

 支えは家族や孫の存在だった。長女の真友美さんには「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも」(※注)という万葉歌人である山上憶良の歌とともにメッセージを伝え、あふれる愛を残していた。入院中に家族が上田氏のひげをそり、タオルで顔をぬぐうと気持ちよさそうに笑っていたという。

 野球への情熱も最後まで冷めることはなかった。15年春に評論活動から退いたが、好天の日には首から球場の通行パスをぶら下げ「さあ、評論に行こうか」と口にしたこともあったという。棺の中にはお気に入りだったスーツとハンドバッグも納められた。

 激情に揺れた80年の生涯を全うした。真友美さんによれば昨年、自身の野球人生を振り返りながら「誰一人でも欠けたら、自分の人生ではなかった」と感謝の言葉を口にしていたという。その人柄を慕う多くの人々によって、その功績と情熱は永く後世に語り継がれていく。

 (※注)『万葉集』に収められている山上憶良(660~733年?)の歌。読みは「しろかねも くがねもたまも なにせんに まされるたから こにしかめやも」で「どんな金銀財宝であっても、子どもという宝には及ばない」という意味。

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