ここから本文です

映画「海辺の生と死」満島さん、越川監督に聞く

7/7(金) 15:54配信

南海日日新聞

 島尾敏雄と妻ミホの出会いから終戦までの物語を描いた「海辺の生と死」が7月7、9日、全国公開に先駆けて鹿児島県の奄美市と、瀬戸内町加計呂麻島で特別上映される。映画はミホが書いた同名の短編小説のほか、島尾の「島の果て」「出発は遂に訪れず」などの小説を基にした。舞台は奄美大島と加計呂麻島。主演の満島ひかりさんと、脚本も手掛けた越川道夫監督に撮影のエピソードや奄美の感想を聞いた。

 ―撮影で苦労したこと、奄美の印象を聞かせてほしい。

 満島 祖母が奄美出身です。沖縄で育った私は、幼い頃からよく島に遊びに行っていました。奄美の言葉や島唄には親しんでいたのですが、島尾作品を読み上げた時、脚本を片手に島へと飛びました。やはり、苦労したのは言葉です。大島の北と南でも違う。加計呂麻でも内海側と外海側で違う。
 原作者の長男の島尾伸三さんに相談すると、1日でせりふを録音してくれました。一つ一つ、ゆっくりと聞き進めました。やはり、難しい。育った沖縄のイントネーションに寄ってしまったかもしれません(笑)。私が演技に集中し、円滑に撮影を終えることができたのは、ロケ地の加計呂麻島と奄美大島の皆さんのご協力あってこそ。本当にありがとうございました。

 越川 島の皆さんには、感謝の言葉しかありません。私は映画監督として「撮影させていただく場所」に対し、一貫して敬意を持って接してきました。人々が重ねた歴史が存在し、太陽が育んだ自然が存在する。動植物も生きている。「海辺の生と死」の撮影では、映画の都合に島を合わせることは避けました。島の全てに敬意を払い、島を裏切りたくなかった。

 ―唄を歌う場面もある。どのような思いで臨んだのか。

 満島 映画には奄美の島唄も登場します。島唄は、朝崎郁恵さんに教えていただきました。唄に込められた、島の歴史や人々の思い。その奥深さをあらためて学ぶことができました。
 越川 満島さんが歌い始めたら、リュキュウコノハズクが鳴き始め、しばらくすると、カエルも鳴き始めた。波の音も含めて、「全てが唱和」した瞬間が何度もありました。「私たちは島で撮影させていただくことが許されたのかもしれない」と感じた瞬間でもありました。

 ―映画を通して訴えたかったこと、表現したかったことは。

 越川 私の妻は映画を見た時に「草や木々、虫、花、海の間から恋愛や戦争を見ている感じ」といったことを語ってくれました。島の自然、島の時間を、戦争末期から終戦に至る時代に対峙(たいじ)させました。戦争という人の過ちの愚かしさと、黙って見ている島の自然。人を愛することを止められない衝動を、黙って見ている島の自然。時には優しく、時には激しく。せりふがかき消されるほどのカエルの鳴き声も、映画の中では自然に表現しました。

 ―戦争映画にはならなかった。

 満島 島の中で、愛をささげる女性の気持ちと現実社会にのみ込まれていく男性の姿。葛藤を抱えながらも生きていく。愛と戦争を、黙って見ていて包み込む島の姿。映画の最後のシーンに、「さあ、ご飯にしましょうね」と、かまどに火をつけて日常が始まるカットがあります。戦争という熱病に侵されていた時代と、日常を守り、取り戻した女性の姿。決して「戦争映画」にはならなかった、この作品が伝えたかったことが込められていると思います。


 映画「海辺の生と死」 舞台は1944(昭和19)年12月の奄美カゲロウ島。国民学校教員の大平トエは海軍特攻艇の朔(さく)中尉と出会う。2人は次第にひかれ合っていく。

南海日日新聞

最終更新:7/7(金) 15:54
南海日日新聞