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あす岐阜空襲から72年、メディコスで資料展

7/8(土) 9:01配信

岐阜新聞Web

 「岐阜空襲を記録する会」は今年も「子どもたちに伝える平和のための資料展」(12日まで)を岐阜市司町のみんなの森ぎふメディアコスモスで開いている。代表の篠崎喜樹さん(82)=同市五坪=は「72年間平和だからこそ安定した世の中がある。平和の尊さを知ってほしい」と話す。9日午後1時から敬念寺(同市西荘)で開かれる聞法会で、空襲について語る予定だ。
 篠崎さんは、長良国民学校(現・長良小学校)5年の時に岐阜空襲に遭った。当時、長良橋北詰めから約200メートル北の家で、祖母と母、兄、妹の5人で暮らしていた。愛知県庁職員だった父親は南方に軍属として派遣されていた。
 全国で都市が襲われ、「いずれ岐阜も空襲を受ける」と覚悟はしていた。当日は、夕方に三重県四日市市で空襲があったことをラジオで知り「今日でなくて良かった」と安心していたという。
 しかし午後11時40分ごろ、B29爆撃機が岐阜の街を襲った。家族は慌てて北西の常磐地区へ逃げたが、篠崎さんは足の悪い祖母と共に近くの防空壕に逃げ込んだという。
 「飛行機の爆音が遠くで聞こえ、祖母と家族の心配をしていた」と振り返る。時折防空壕を出て街の方を見ると、真っ赤に染まっていた。「炎が爆撃機の腹に反射し不気味な黒赤色だった。きらきらと花火のような焼夷弾も見えた」と語る。
 翌朝、長良橋北詰は攻撃され、路面電車停留所などは燃やされていた。市街地から北に逃げてくる被災者もおり、「日本は本当に大丈夫なのか」と思ったという。
 資料展では、当時の子どもたちの生活を写真パネルなどで紹介。「戦争時代、子どももひどい状態に置かれていたことを知ってほしい」と語る。展示は02年に始まり、今年で16年目。「これからもずっと空襲があったことを伝えたい」。

岐阜新聞社

最終更新:7/8(土) 11:25
岐阜新聞Web