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<核兵器禁止条約採択>被爆地訴え、力に…森滝春子さん

7/9(日) 0:32配信

毎日新聞

 「核兵器をこの世界からなくすまで声を一つに頑張りぬくことを誓います」。原爆ドーム前の集会で、市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表の森滝春子さん(78)が共同声明を読み上げた。歴史的な条約は、数年前まで軍縮活動家の間ですら非現実的と言われてきた。一貫して条約実現を訴えてきた森滝さんは「被爆者や市民が核兵器は非人道的と訴え続けたことが、志のある国などに受け入れられた」と喜んだ。

 運動の精神的支柱だった故森滝市郎氏の次女で、教員退職後に運動を始めた。イラク戦争で使われた劣化ウラン弾の被害などを現地で目の当たりにし、市郎さんが残した言葉「核と人類は共存できない」の真実味を痛感した。

 2010年3月、国際的影響力がある赤十字国際委員会(本部=スイス・ジュネーブ)に条約の必要性を訴える文書を送付。同委員会から賛同する返事が届き、ヤコブ・ケレンベルガー総裁(当時)は「人類の存亡に対する脅威」と、初めて公の場で条約制定を訴えた。

 だが周囲の反応は冷ややかだった。核拡散防止条約(NPT)再検討会議中の国連でチラシを配ると、イギリスの軍縮運動家らから「非現実的な主張をしても逆効果」「時期尚早」と厳しく非難された。それでも森滝さんは国際NGOなどと運動を続けた。

 核兵器禁止条約制定の原動力となったのは、有志国やNGOが13年からノルウェーなどで開いた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」だった。NPT再検討会議が成果を出せないなか、条約制定への機運が高まった。

 森滝さんは長く患っているがんが悪化して交渉会議には立ち会えなかったが、採択された7日深夜は気持ちが高ぶり、一睡もせずに朝を迎えた。心の中で市郎さんに「やったよ」と伝えたという。「犠牲者や志半ばで亡くなった人々の気持ちを引き継いでここまでやってきた」。今後も被爆国・日本を含む多くの国が条約を批准するよう、ヒロシマからアピールし続けるつもりだ。【竹内麻子】

最終更新:7/9(日) 0:32
毎日新聞