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ワッティー、人材に恵まれ創業50周年 独自製品で新市場創出 業界標準を狙う

7/10(月) 8:15配信

SankeiBiz

 創業50周年を迎えるワッティーは22日、社員とその家族、元社員ら約250人を招いて東京・品川で記念式典を開く。創業者で代表取締役の清水美知雄氏は「ここまで来たのも社員あってのこと。お礼を言いたい」とその日を楽しみに待つ。昨年4月に社長に就いた長女の菅波希衣子氏は「ワッティーを愛して働いてくれる仲間が誇り。社員に寄り添いながら一緒に会社を大きくし、新たな市場を創出する」と次の50年を見据える。

 ◆「5ゲン主義」方針

 「5ゲン主義! 私たちの『現場』に赴き、私たちの『現物』を見て、私たちの『現実』を知り、『原理』にのっとって、私たちの『原則』を作る」

 東京・五反田の本社を訪れると「社長方針」と書かれた張り紙が目に入った。菅波氏は「期(12月期決算)の途中で社長交代したので、これが私にとって最初の社長方針。どのセクションでも通用するだけでなく、個人にも当てはまる」と説明する。

 事業は、防犯関連機器の卸売業(特機事業部)に加え、製造業としてヒーター(熱システム事業部)とセンサー(センサ事業部)を手掛ける。

 売り上げが100億円を超す企業に成長したが、1967年に29歳で創業した清水氏は「人間でいうと0歳から50歳になったわけだが、まさにゼロからの立ち上げで大変だった」と振り返る。勤めていた日本フェンオールから代理店として独立したものの担保がなく資金繰りに窮した。顧客にじかに接するようになると「メーカーは価格第一で、要望を聞いてくれない」といわれ、30年後の97年に製造業に進出、社名も「ワッティー」に変えた。飛躍の転機となったが「この間、支えてくれたのが人。出会いに恵まれた」と笑みをこぼす。

 24時間365日働いてきた父親の背中を見て育ったのが菅波氏だった。当初は後を継ぐ意思はなく、成人式を迎えたとき「長女として父の墓は守るが、会社は継がない」と告げた。「父親の背中を乗り越えるというプレッシャーが大きかった」からだが、2005年に清水氏の娘婿、百村賢司氏(現会長)が後を継いだころから「いずれは」という感覚が芽生えたという。

 今は代表権を持つ清水氏と百村氏の2枚看板が支えてくれるが、菅波氏にとって乗り越えなければならない壁でもある。

 ◆海外進出が不可欠

 そのために得意の英語力を生かす。ワッティーの成長には海外進出が欠かせないと考える清水氏も、学生時代の海外留学で養った英語でのコミュニケーション力に期待を寄せる。第1弾としてセンサー事業の顧客が進出しているベトナムを候補に、展示会に出展しニーズを探る。

 一方で、「新しい野望を抱えている」と菅波氏は言い切る。独自の自社製品で新たな市場を生み出しスタンダード(業界標準)となることだ。そのための人材確保と育成、研究開発への資源配分、協力企業とのネットワークの構築などに取り組む。

 中でも人材育成に注力する。企業の発展・成長に不可欠と考えるからで、「社員の『やりたい』に応え、一緒になってワッティーを盛り立てる仲間を増やす」という。カリスマで牽引(けんいん)力を持つ清水氏に対し、菅波氏は「社員に寄り添いながら一緒にやっていく」ことで、次の半世紀を仲間と走り続ける。

最終更新:7/10(月) 8:15
SankeiBiz