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「この人がいなければ、成り立たない」日田祇園人形作り、三代を陰で支え 衣装手掛け60年の女性

7/9(日) 8:50配信

西日本新聞

 豪華絢爛(けんらん)に飾り付けられた山鉾(やまぼこ)を曳(ひ)き回す日田祇園。男の祭りのイメージが強いが、関係者が「この人がいなければ、日田祇園は成り立たない」と口をそろえる女性がいる。長嶋タネヨさん(89)-。舅(しゅうと)から夫、そして息子へと引き継がれてきた山鉾の人形作りを60年以上にわたって陰で支え続ける。2015年、市政功労者として表彰もされた。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されて初めて迎えるこの夏の日田祇園に向け、作業は急ピッチで進み、タネヨさんも大忙し。大分県日田市隈の自宅兼作業場を訪ねた。

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 引き戸を開けると、視界に飛び込んだのは天を指さす滑らかな手。等身大の人形の手だった。現在、次男の静雄さん(61)が祭りに登場する9基の山鉾の人形作りを一手に引き受けている。作業は佳境に入っており、玄関の土間から畳敷きの室内に至るまで、床は人形の部品や材料、道具でいっぱい。タネヨさんは作りかけの人形たちに囲まれ、金糸で模様を織り出した鮮やかな布「金襴(きんらん)」の衣装を人形へ着付けていた。

 「この人形がね、出来上がるともっと動きが出るし、小物を付けるともっと生きてくるの」

 隈に近い日ノ隈町の出身。1948年に夫の作造さんと結婚し、5年ほどして義父の清さんが担っていた人形作りを手伝うようになった。「『ちょっとここ縫って』と頼まれたのが始まり。お母さん(義母)がリウマチで、なかなか作業をできんかったから。人形を作るなんて思いも寄らなかったわ」

 20代半ばで手伝いを始めたころは戦後復興もまだまだで、世の中が貧しく材料のない時代。それでも小学校の講堂の緞帳(どんちょう)を譲り受けたり、無地の生地に金の紙を貼って模様を作ったりと工夫を凝らした。73年ごろからは人形作りは作造さんにバトンタッチ。タネヨさんと約40年間、二人三脚で人形を作った。作造さんは、自分より20年ほど前から人形作りに携わるタネヨさんをとても頼りにした。

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最終更新:7/9(日) 8:50
西日本新聞