ここから本文です

“まちの看板屋”遺志継ぐ 4月に社長他界、出店決意/青森・七戸

7/9(日) 11:40配信

デーリー東北新聞社

「地元のため」仕事に汗

 七戸町で40年以上にわたり、“まちの看板屋”として親しまれた「看板のみやざわ」。今年4月、社長の宮沢英一さん=享年(69)=が他界し、惜しまれつつ閉店した。その後も、仕事は地元の店に頼みたい―とのニーズが町内で絶えない状況に、右腕として働いていた成田昌徳さん(50)が立ち上がり、6月に自分の看板店を開いた。成田さんは、大勢に頼りにされていた宮沢さんの仕事ぶりを誇りに感じながら、「社長の思いを受け継ぎ、地元のために頑張りたい」と毎日の仕事に汗を流している。

 地元の店やイベントで使う看板制作などを手掛け、七戸に根付いていた「みやざわ」。「明るく気さくな人柄で、頼まれればどんな仕事も断らない。人々に愛されていた」と、成田さんは宮沢さんの在りし日をしのぶ。

 その成田さんが、宮沢さんと働き始めたのは2010年のころ。

 地元の七戸を離れ、東京の美術関係の専門学校に進んだ。卒業後、地元に戻り1994年から七戸町立鷹山宇一記念美術館での勤務を経て美術商として独立した。ふとしたきっかけで出会った宮沢さんに「手伝えることがあったら言ってほしい」と何げなく告げると、翌日から人手が足りなくて困っていた店で働くことに。手伝いどころか、二人三脚の日々が始まった。

 仕事を通じて、気心の知れる間柄になった二人だったが、別れの日が訪れる。

 16年9月、宮沢さんに異変が起きる。数年前に患った胃がんの再発だった。17年に入り、病状はさらに悪化。成田さんは「寝るのもつらいと話していた。切なそうな顔でね」と振り返る。そして17年4月10日、宮沢さんは息を引き取った。

 後継者がいなかったため、店を閉めるのは決まっていたが、閉店後も「ぜひ七戸の店にお願いしたい」と、地元の得意先から仕事の依頼が成田さんに相次いだ。悩んだが、受けるたびに脳裏に浮かんだのは、どんな仕事も快く引き受けていた宮沢さんの姿だった。

 成田さんは一念発起し、一人で仕事をこなしながら開業の準備を進め、ついに6月、「成田屋看板店」を設立した。現在は、屋外広告や工事現場の看板のほか、車両マーキング、名刺やチラシなど印刷物のデザインを手掛ける。

 町内で米穀卸売業の会社を営む新山貴広さん(51)は、自社のトラックへの社名のマーキングを依頼した。真剣な表情で作業に励む成田さんを頼もしく見詰め、「宮沢さんの時からお世話になっていた。今後も地元で頑張っている人を応援したい」と語った。

 目指すのは「みやざわ」のような、大勢に親しまれる“まちの看板屋”。成田さんは「人のつながりや、一つの歴史を築いてきた社長の遺志を継ぐ」と意気込む。

デーリー東北新聞社