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12歳で母の代役 サヘル・ローズさん“織り子”ホロ苦デビュー秘話

7/10(月) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

 イランに生まれ、幼くして孤児となり、養母・フローラさんとともに来日したのは8歳だった93年。女優でタレントのサヘル・ローズさん(31)はその後もフローラさんに女手一つで育てられた。

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 この写真は12歳だった年(97年7月)に自宅そばで撮りました。何かムクれてるような表情でしょ? あまり機嫌が良くなかったんです。この日は学校を休み、百貨店で開催されたペルシャ絨毯展示即売会のアトラクション“織り子実演”を初めてやった記念日です。母が実演する予定だったのですが、たまたまダブルブッキングしてしまい、急きょ私が代役で行くことになったのです。

 本来ならば断るべきなんでしょう。でも、実演の仕事は不安定で、いつも家計はピンチでしたから、お母さんはたとえ1回でも断りたくなかった。とはいっても、それまで経験はなく、わずか数日織り方を習っただけの一夜漬け。それに何より12歳では催事担当者が納得するはずはありません。それで、“大人のサヘル”を演出するために濃いめのメークをして、母と絨毯の解説やお客さまとの応対の仕方をロールプレーしたうえで会場へ向かったのです。

 目的地は千葉市の大手百貨店。当時住んでいた都内・泉岳寺からは都営地下鉄と京成本線で1時間15分ほどです。初めての実演、見知らぬ場所という不安に加えて、好奇の視線を浴びがちな民族衣装のままで行くように言われたので、ついついホッペが膨らんだというわけです。日程は木曜から日曜までの4日間だったかしら。

■会場の隣がオモチャ売り場で母に苦情が……

 そして開店。最初は頑張って織ってたんですよ。でも、子供ですから、慣れない手仕事に根気が続かず、午前中だけでクタクタ。しかも、会場の隣がオモチャ売り場なのがいけなかった(笑い)。当時は裕福ではなく欲しくても買えないので、オモチャ売り場には近づかないようにしていました。でも、すぐ隣では魅力に勝てません。昼休みはランチもソコソコに入り浸って、無邪気に遊んでしまったのです。民族衣装のまま(笑い)。

 当然、ひんしゅくを買いますよね。それすらわからず、その晩帰宅したら、電話に向かって母が謝ってるではないですか。私の不始末で派遣会社から怒られていたんです。母の必死の説明で、翌日も行けることになりましたが、初日のお給料はペナルティーでゼロ。往復の交通費まで無駄になってしまいました。

 それでも、受話器を置いた母は怒鳴ることもなく、きちんと向き合って説明してくれたんですね。それで仕事に対する責任感、お金を得ることの大変さと、何によって私たちが暮らしていけてるのかを理解しました。即売会での織り子という仕事は、常時あるわけではありません。8月は閑古鳥が鳴き、逆に冬は大忙し。それだけに派遣された店舗では一回一回が勝負です。ミスをしたり、現場やお客さまに不愉快な思いをさせてしまったら次はない……。

 それからの私は手伝いたい気持ちと、激しくなるばかりの学校でのイジメから逃れたくて、学校は二の次で織り子の仕事を優先。最終日にいただけたお給料はいつも封を切らず母に渡していました。この仕事はタレントを始めてからも続け、24歳くらいまでしました。我が家の家計を助けてくれたことへの感謝と、生まれ故郷のペルシャの宝を日本の人たちにもよく知って欲しかったからです。

 絨毯を織るのは、私は人生の歩みのように思います。私という縦糸があり、そこへ周囲の人たちという横糸が絡まり、さまざまな模様ができる。決して一人では完成しないのです。人とのコミュニケーションができてこそ人生という模様が少しずつ仕上がっていく。

 そんなことも学ぶことになる門出の日。それがこの写真です。